カワイイは、作れる。

 健康診断の血液検査の結果が悪すぎて周囲に驚かれたみあです。

 自分ではさほどのショックがないので結果、まあ憎きルジオミール辞めたらダイエットするって言ってたしそうすればべつによくない?となりました。内科に検査結果持っていったら爆怒られするかもしれないが。

 

 可愛いものってこの世にいっぱいありますよね。ラデュレのマカロンリラックマANNA SUIの小物、Miss Diorの香水、JILL SATUARTのピンク・・・言い出したらキリがない。

 

 かく言う私も可愛いものは大好きです。というか可愛いものしか持ちたくない。下着一つだって小物一つだって、可愛くないものは使いたくない。細部の一つだってこだわりたい。

 

ここにリボンがひとつ付いてるのが邪魔だって?それがいいんだよ。

 

 ええ、わかっている。多分私は人よりも可愛いものに対する執着が半端ない。

 なぜそうなったかは私の育ちにある。

 

 母親は私にたくさんの服を買い与えてくれたが、それがいまいち地味だった話。多分母親の好みが反映されていたんだと思う。私よりシックというか、地味なの好きだから。服の趣味ほとんど正反対だから。

 小学生のとき初めて男の子に抱きつかれた翌日、調子に乗って可愛い服を着ようとしたが可愛い服がなくて、そんな中精一杯可愛い服を選んだ記憶。なんで抱きつかれたかは未だにわかっていない。

 

 妹がシャーリーテンプルの服を着せたられていたとき、「なんだこの可愛いが詰まった服は!?」と衝撃を受けた。私の時代にはブランド自体がなかったようだが、こんなものを着せるようになった母親に感慨深くなった。同時になんで私の時代にはこれができなかったのか少し恨んだ。

 

 同時期の妹が小さい頃はディズニープリンセス全盛期で、妹が買ってもらったディズニープリンセスの雑誌を熟読した。ディズニープリンセスのマナーレッスン講座、行ってみたかった。

 

 私の可愛いへの渇望を加速させた時期がある。それは北海道時代だ。

 

 北海道に引っ越したら田舎すぎて今までデパートで買っていたブランドなんて無い。

 みんなどこで服を買うの?みんなどこで可愛いものを手に入れるの?そもそもジャージって何?初めて知った。なんでみんな学校来るのにジャージばっかり着てるの?

 

 スクール水着がなくて小学生からちょっと可愛い水着を好きに選んで学校の授業で着た、なんていう自由な思い出もあるのだけど。

 

 数年経って知ったのは、みんな「ファッションセンターしまむら」で服を買い、ポスフール(イオンさえ無い)のファンシーグッズショップで可愛いものを買うということだった。

 

 でも私はそんな北海道の田舎唯一の可愛いがある場所で可愛いものを買えなかった。

 だってそんなところで可愛いを手に入れるのは、私をいじめてきた子達のすることだったから。

 

 私は北海道で呪いみたいにいじめられた。べつに本州に住んでいた時代からいじめられ放題だったけど、北海道のいじめは別物だった。よそ者が混入したという異物感からのいじめ。都会育ちの私への羨望のいじめ。いじめられてもしょうがないくらい私は無愛想で自意識過剰だったのかもしれないけど、そのいじめを許すことはできなかった。

 

 可愛いものが欲しい。でも可愛いを買うためにはいじめてきた奴らと同じところに買い物に行かなきゃいけない。同じものを身につける。そんなの嫌だ。

 私が可愛いものを買おうとしてファンシーショップにいるのを見つけられたら?きっともっといじめられる。

 

 ずっとそんなことを考えていた。

 そして身につけるものはユニクロだけになっていった。

 

 私は毎月名古屋に帰っていて、空港のソニプラや都会のイオンやデパートで可愛いものを探すこともできたのに、見るだけで買うことはほとんどなかった。

 だって私だもん。いじめられてる私だもん。こんな可愛いものは似合わない。買えない。

 

 母親がたまに買ってくれる女の子らしい服も、名古屋で着ることしかほとんどなかった。

 可愛いものを身につけてる私なんて、馬鹿にされていじめられるに決まってるもの。

 

 そのうち大きくなってくる胸さえいじめの対象になるんじゃないかと、年相応のワイヤーの入ったブラジャーを拒否した。母はそれでもデパートでワコールのツモリチサトとかの、店員さんの提案する可愛めのワイヤーの入っていないブラを買ってくれた。私の唯一の、隠れた可愛いだった。嬉しかった。でもいまだに胸の形が悪いのは、この成長発展途上の時にきちんとホールドするブラジャーを付けなかったからだと思う。そう思うと私のいじめられた苦しさはいまだに体に残っている。

 

 中学生までの私は、とにかく雑誌が救いだった。

 買っても誰にも気づかれずに、家で可愛いを堪能できる。年相応のSeventeenから、年相応じゃないOL系のJJとかCanCamを愛読していた。そこには可愛いがいっぱいあった。

 

 いつかこの雑誌と同じものを持って可愛くなってやる、と思いながら、雑誌に出てくるので唯一同じものとして買えた制汗剤やボディ用剃刀にさえときめきながら、私の中学時代は過ぎていった。

 

 高校生。京都に行って高校生になったらいじめられていた私を捨てて、高校デビューをすると決めていた。いうて高校1年生の私は今写真を見ると「ダサいなあ」と笑ってしまうのだが。仕送りの中で精一杯、数少ない可愛いを見つけ始めていた。可愛いのリハビリ。

 

 高校2年生になって遊び方を覚えてきて、父親にねだってセシルマクビーINGNIの服を買ってもらうようになった。たまにロクシタンでボディミストとかも買ってもらえるようになった。憧れのCanCamに載っている服も買えるようになった。当時のCancamは愛おしすぎて、いまだに何冊か持っている。

 自分でもちょっとコスメとかに手を出し始めて、私は明らかに変わった。可愛いを手に入れたのだ。

 

 そこから私は、今でも可愛いに固執しながら、可愛いを求め続けている。多少それが時代遅れのものであろうとも。

 

 CHANELやDiorのコスメやスキンケアが使えるようになり、可愛いピアスを付けて、可愛い服、もしくは最高のロリィタ服!に身を包んで、可愛いぬいぐるみを持ち、可愛い小物を持ち、私は生きている。

 

 中学生の頃、20歳のタイムカプセル掘り起こしの時には、CanCamOLのように可愛くなって、全員見返してやる!と思った。実際その会合に顔は出さなかったが、理想に近い可愛いは手に入れたと満足した20歳だった。

 

 この間はメルカリで、10年以上前に限定発売されたANNA SUIのミニドレッサーを手に入れた。当時欲しくても買えなかった可愛いである。

 私は多分、これからもこうやって憧れた可愛いの回収を、一生かけてしていくんだと思う。

 

 FOXEYのワンピース、Lady Dior、ティファニーKate Spade、、、、、欲しい可愛いは無限にあるんだもの!

JILL STUARTのチーク、フェラガモのカチューシャ、Babyのロリィタ服、サマンサのバッグ、COACHのピンク色のバッグ、ティファニー。手に入れたものも結構あるのだけど。

 

 かつて「可愛いは作れる!」というCMがあった。最高のキャッチコピーで、私はそれを胸に生きてきた。これからもそうであれ。

 

 可愛いものとロリィタ服はイコールではないところもあるので、これはまた語りましょう。

 

 可愛いものを身につけたい私は意地でもダイエットすると思うので、血液検査の結果は気にしないことにします。それでは。

 

 

 

これも一種のカワイイ。我が道を行くよ。