アラサーは迷い続ける、永遠に。

 アメリカのドラマや映画を見るとそのまま英語しか聞きたくなくなる。こんな現象はないでしょうか。

 そんなことは関係ないブログですが、今回は重い。人生の重みです。

 

 

 先日、約5年ぶりに高校と大学が一緒だった友人からLINEがきた。彼女との仲は親友と言っても差し支えないだろうが、病気になったのをきっかけに気持ちがしんどくなって縁を切っていた。

 

 突然の連絡に驚いたものの、彼女のその後が気になっていたのは事実だしお返事をして、気付いたら2週間後には東京で会う約束になっていた。

 不安もありつつ再会した彼女は変わらず、心配していたお泊まりもお互いのマイペースがうまく噛み合ってストレスなく過ごせた。

 

 でも彼女を新幹線口まで見送って別れてみると、頭の中はショックでいっぱいだった。

 まずは「自分のファッションが若すぎる!」とOLファッションをする彼女を見て衝撃を受けたのだが、これはまあ置いておく。多分後日語りたいけど。

 

 びっくりしたのは、彼女が1年半付き合った彼氏と子どもが欲しいか欲しくないかで別れたことだった。彼氏が子どもは欲しくないと言って別れを決意したというのだが、私は「え、私たちってもうそんなこと考えて付き合う相手を考えなきゃいけない年齢なの?」ということに驚いた。

 

 そして次に驚いたのが、彼女が今付き合っている相手は街コンで見つけたということだ。

 足繁く街コンに通い続けて、子どもが欲しい、結婚を前提にした付き合いをしたいということをお互いに了承しあって付き合い始めたそうである。写真を見てみると優しそうな人で、このままこの人とゴールインするだろうな、と何となく思った。

 

 私って、もうそんな年齢だったの?

 

 単純にそう思った。そして次々と不安が襲ってきた。

 

 28歳。若い気もするし、そこそこの年齢な気もする。

 とりあえずジャニーズにハマっているというと、年配の女性たちは皆怪訝そうな顔で「こいつ自分の結婚を考えて現実を見ろよ」みたいな反応をしてくる。自分自身もなんとなく、身近な独身の先輩オタクを思い浮かべて「多分そっちの仲間入りするな」とうっすら思っている。

 それ以上に大学院を出たことと療養期間があったうえに、今さら職のために学校に通っていて31〜32歳までまともな職を得られる予定のない私はまだまだ学生気取りで、結婚なんてずいぶん先のことに思えた。

 

 いつの間にそんな年齢になったのだろう。

 

 

 そう考えながら私は深夜に散歩をして、午前2時の隅田川のほとりで音楽を聴きながらお茶を飲んだり、明治座の先まで歩いて24時間営業の成城石井で買い物をしてたりする。

 

 この時間が好きだ。

 街に人がいなくて空気が冷たく濃く、首都高にトラックが行き交っているのを横目に見る時間。

 

 結婚したらこんな自由はなくなるんだろうな。そんなの耐えられない、私は結婚しないのだろうかと、答えのない疑問を頭の中でぐるぐる回らせながら。

 

 

 その疑問を持ちながら2日間苦しんだ私は、自分がめちゃくちゃ結婚したいことを認めた。

 私は愛情を向けられる相手と結婚して一緒に暮らして、しあわせになりたい。

 

 でもその一方で、何よりも大きな声がそんなの無理だよ、と囁くこともなく大声で断定してくる。

 

 恥ずかしながら、高校時代は女の影がチラつくってこういうことかというような相手と付き合って「お前の方が金持ちだし」とうまい具合にデート代やプレゼントを出さされるような相手とずっと不安定な付き合いを繰り返していた。

 大学時代には前の恋愛から学んで「浮気の心配がゼロの人と付き合いたい」と有言実行したら私を束縛して下に見てたい男で、彼の予定金額に達すると私がホテル代を出させられるようなケチ(自分の趣味の鉄道模型は買いまくる)と付き合って、最終的には彼の母親が結婚後どれだけ家庭内に立ち入ってくるか丸わかりの、お義母様の夢物語を聞いてこりゃ無理だと別れた。

 

 ロクな恋愛をしてこなかった私は自分に恋愛運がないことを悟り、彼氏は作らないことに決めた。それでも何度か恋をしかけるような甘いドキドキ感はあったが、それ以上のことは望まなかった。

 

 自分のその気持ちに迷いはない。

 私は多分、男性と付き合うと妻みたいに世話をしだして相手をつけ上がらせる。

 結婚して専業主婦にさせてくれて、その上で「いつも家のことやってくれてありがとう。君は頑張ってるね」と言ってくれるような男性じゃないと、私の尽くしっぷりでは釣り合いが取れないのだ。そしてそんな男性私のもとには回ってこない。

 

 そう思ったから一人でも生きていける手に職をつけようと今の学校にいるのだ。

 

 私の人生の段取りは何も間違っていない。

 この4年間学校に通い臨床検査技師になって、自分で稼ぐ。

 そこそこ豊かな生活をしながら父親と縁を切り、あわよくば好きな国を旅行したり、大学院に通い直す。この仕事なら大学院に行きながらでもパートでそこそこ稼げるし、一度やめても再就職がたやすい。

 もし良い出会いがあって結婚したとしてもいつでも離婚できる経済力があるし、夫に稼ぎがあれば給料を小遣いにしてもっと豊かな生活ができるし、大学院の学費だって貯めやすい。

 

 どうするにも保険が効いて、自分の尊厳を守って、豊かに生活できるはずだ。

 そのために今はがむしゃらに頑張ればいい。どちらにしろこの4年間に結婚できるわけがないのだから。

 

 でも不安が尽きない。

 周りが結婚していくこと、子どもが生まれること。

 自分がこのままひとりで生きていって、あるとき急に結婚も子どももないという暗闇に飲み込まれてしまうかもしれないこと。

 自分の好きなジャニーズが結婚発表をしたとき、自分は独身で手元に何もない現実を受け入れられないかもしれないこと。

 結婚した元彼に子どもが生まれて、それに対して何も持っていない自分にショックを受けるかもしれないこと。

 

 どれも急に、明日にでも起こりうることだ。それが怖くてたまらない。

 でもだからといって深夜に散歩しているような自由な身分を、自分が失うことも考えられない。

 

 結局のところ、何をしていても不安なのだ。

 結婚をしたらしたで、私は夫の浮気と離婚を心配し続けるだろう。

 それは不運な恋愛の結果であり、親の夫婦関係を見てきたからであり、自分の性格のせいである。

 だからと言って結婚をしない、子どもを持たない劣等感も抱え続けなければいけない。

 

 今回友人と会ってすぐ、アフタヌーンティーをした。

 お茶が出てきた時点という早さで、友人は私に質問した。

「みあちゃん結婚はどう考えてる?子どもは欲しい?」

 うーん、と唸りながら私はすぐ、「結婚はいい出会いがあればしたいけど、子どもは欲しくない。怖いから」と答えた。多分、それが私の本心で、私のすべてである。

 

 

 もしも本当にいい人と出会えて、ディズニー映画のような、御伽話のような"True Love's Kiss"の相手が現れたとしたら、私は結婚するだろう。

 でもそれがなければ結婚しないし、結婚したとしても子どもは持たない。それが本音である。

 

 

 不安に思うことはいくらでもある。

 こんな真っ当に婚活して、「人生の目的は結婚と子育て」だと信じてやまない友人の話を聞けば、今回のように苦しんで悩むだろう。

 深夜の散歩をしながらその開放感と一緒に、心配してくれる人が誰もいない虚しさを味わう。

 いつかくるかもしれない暗闇に怯える。

 

 でも私は、人より苦しんで生きてきてこれからも多分そうで、それでも強く立っていようとする人間だから。

 器用じゃないから軽やかに、とはいけないけど、ときに苦しみながら、それでもロリィタ服という戦闘服でも着て、若干年齢不詳で、戦いながら、生きていきましょう。

 

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苦しんでもその時々に、いろんな感動に出会えたらいいな。