飛翔

 喉の違和感を感じて風邪の気配を感じているみあです。

 何が怖いって?「そんな薄着してるからだ」とばあちゃんにそらみろと言われることが怖いですね。でもはっきり言ってこの家の暖房が薄すぎます。夜には2℃とかになる土地だぞ。なぜほとんど暖房なしでいけると思う。その辺りが本州の暖房費もったいない、10月につけることはないと考える本州の感覚なんでしょうねぇ。

 

 もう一度言う。今2℃だぞ。ここは北海道の山奥だ。暖かい暖房が必要だ。

 

 

 まあ言ってもしょうがないね。でも風邪気味だね。

 

 ここに来てから、祖母にちょこちょこ病気について言っている。しかし返ってくる言葉は

「なんでそんなことになったの」

「治るといいね」

「あなたは甘えているから自立しなさい」

「昔はそんな人いなかった」

といった言葉。ある意味恐ろしいというか、現代に生きていないというか、これは批判じゃないのだ。本気の疑問や心配なのだ。まるで22歳の友人がヤバい宗教にハマり、私に「僕は救われたから君も救われてほしい」と、本気の善意で宗教に誘ってくれるように。

 

 

 今日は、18歳の従姉妹と叔母が来てくれた。血のつながっている叔父は亡くなっているからかなり他人に近いのだが、会いたいとLINEをしたら、わざわざ釧路からやってきてくれた。

 

 食事の待ち時間、公園で従姉妹とブランコを漕いでいた。すると祖母がわざわざ小声で、北見に言っても父に会わなかったこと、精神病で私の人生がうまくいってないことを叔母に話していた。小声じゃなくていいんよ!もはや小声で言われる方が気まずい!

 

 その1の攻撃。

 妹に彼氏ができて、なかなか惚れられてることを話すと、「あなた、妹には彼氏がいるなんてどんな気持ち?」と聞かれる。え、なに?Snow Manの僕の彼女になってよの「ねえねえねえどんな気持ち?」て歌詞か?

 強いていうなら、なんとも思っていない。好きな人できても上手くいかなかったとき、彼氏とお泊まりする妹が羨ましくなったが。それ以外は「私の遊び相手奪いやがって」ぐらいしか思っていない。でも祖母からすると、妹に相手がいて、相手のいない姉の私は随分惨めに見えるのだろう。

 

 その2の攻撃。

 「みあは23歳で結婚してくれると思っていたのに。晴れ姿が見れなかったらどうしてくれるの」と言われる。

 いや、ごめんな!無理だわ!これしか言えん。

 従姉妹にも「大学でいい人を見つけなさい」と言っていたし、私が30歳になっていて驚いた叔母たちに「ほんともうそんな歳なのに、結婚もなくて!」と叫んでいたが、弁護士として事務所を一つ運営して、まあありていに言うなら自立していて、都会育ちの叔母にはまったく意味がわからないらしく、叔母は困惑していた。

 

 その3の攻撃。

 もう大ネタは書いてしまったのだけど、散々「これ片付けたいから食べて」と言ってくるのに、叔母たちの前では「こんなに食べて丸々としてて・・・」みたいなこと言うの、どうなん。あと学校を手術やらで休学にしたことを叔母に伝えると、「本当に不運な子・・・」と呟かれて、なんか本心が見えた気がした。あと結構いい大学を受ける成績オール5の従姉妹の話を聞くたび、「あなたも頑張らないと」と横腹叩かれた。

 

 ああ、しんどい。

 

 そして叔母たちが帰り、「なんだかお姉ちゃんとゆった(従姉妹)の仲いいけど個人として見てる感じ見て辛くなっちゃった。ゆったは父親が死んでて一見不幸に思われるかもしれないけど、母親が人並み以上に稼いでるからそう不幸でもないし、はっきり言ってうちみたいな変な親に育てられた家より、よっぽどまともな人間に育って見える。羨ましい。」と私はこぼした。

 

 「あなたのところはやっぱりお母さんがおかしいもの」

 

 ごめんな!父親も頭おかしいんだわ!

 

 そして言われる。

 

 「あなたとママはパパに甘やかされてきたから、自立しないと。ママは働いて、あなたは結婚して。」

 

 わけわからん。

 結婚が自立なら母は自立している。

 母は経済的にも、どうも精神的にもいまだに父に未練がああるが、私は経済的なこと以外では自立している。それは京都のお父ちゃんからも言われているし、そもそも自立という意味については前、ブログでも書いた。

 

 そして「もう釧路か北見で仕事探すか!」と言うと「北見じゃないと釧路じゃ家賃かかるじゃない」と言われる。「父親と暮らせないから」というと「そこをこういまくやっていくのよ」と言われるが、父親が私にしたことはもう生涯許せない。私に父親はいない。

 

 

 なんか・・・ズレてるんだよなぁ・・・結局は祖母の願望でしかない、祖母からの文句。

 

 私は十分頑張って生きている。一応言うと、母ももがきながら生きている。なんか最近言葉の端々に父への依存が感じられるが。

 

 お金は出していなくとも、自力で航空券を取って旅を手配し、見たいものを見て、食べたいものを食べ、会いたい人に会う私は、果たして自立していないんだろうか。

 

 ほとんどの人は働くことを自立といい、働けば働くほどきちんと自立していると言う。

 

 でもどうかわかってほしい。

 体調的にも、精神的にも、「当たり前」に働くのが困難な人もいるということを。

 そしてそういった人たちのことを、「自立していない」「頑張っていない」と言うのは、相手にナイフを突き刺していることだということを。

 

 あと普通に疑問に思ってほしい。働いてるけど家では機能不全な父親とか、実はロリコンでヤバいことしてみたいな人もいるのに、働くイコール、正しい大人だと思われているということを。

 

 私は人生で躓いたりうまくいかないと、「私は人生でそんなに悪いことをしてきたのか」と自分を問いただしてつらくなる。でもそれは、世間に貼られたレッテルや正しさに押しつぶされそうになっているだけで、本来なら思わなくていいことだ。

 

 ごめんおばあちゃん。孫はそのくらい傷ついて必死に生きてるんだよ。

 何度も自分に包丁を突き立てて死のうとして、薬の過剰摂取で疑似自殺して、小学生から自傷行為をしてきた孫は、十分頑張って苦しんで生きてきたんだよ。

 

 

 わかってほしいけど、80になる祖母にそんなことを言うのは、酷なことだから言えずにいる、そんな夜でした。

 

 

線路のように人生は続いているけど、そんな頑張らなくていいんだよ