Don't Stop Believin'

 このブログを書かなくなって随分経つが、世界は相変わらず戦争といった争いに満ちていて、日本は相変わらず税金のための労働に苦しんでいる。

 

 そうこうしているうちに、私はあれよあれよと東京の専門学校を無理になり、気づいたら新しい学校のために名古屋にいた。去年のブログが11月で途切れているが、実質2月前には引っ越しも新しい学校の目処も立てていたのだから、自分の持つスピード感にびっくりしている。逃げるときは早いのだ。

 

 新しい学校はそこそこ楽しかった。気の合う友達もできたし、たまにクラスメイトと帰り道にご飯やお茶したり、久しぶりの恋もした。

 でも気が合うと思っていたクラスメイトにはなんか謎の裏切られ方をして無視されるようになったし、恋した相手は去年婚約者が自殺してとても新しい恋に踏み出せる様子じゃないし、その恋にまつわる女子の問題で、嫌がらせやクラスでハブられるようになった。

 正直何歳だよ、とその子どもっぽさにうんざりしたし、愛知県付近の幼稚な人付き合いの方法に辟易した(クラスメイトのほとんどが名古屋ではなく名古屋以外の愛知や岐阜から来ているから、彼らの人付き合いは都会人ではない田舎臭さを持っていると思う)。夏休みに入ってあの教室にもう一度帰らなければいけない、と思うと調子が悪くなったし、手術で実習に行く、行かないで先生や親と揉めて、夜中に「死にたい」と泣き始めたこともある。適応障害がバッチリ出て、私はわりと限界だった。

 

 妹に「医者にしんどい、と言って実習は無理というお墨付きをもらえ。そうしないと無理だ」と言われた言葉にそれしかないと思い、婦人科で痛みやしんどさを訴えて、「実習はやめといたほうがいいんじゃないかな〜」という軽いお墨付きをもらった。そして気持ちが限界だと、心療内科に訴えた。言われた言葉は「みあさんは、何も悪くないんですよ」という言葉だった。

 

 正直、意外な言葉だった。とてもシンプルだけど、心療内科医から出たことのない言葉。

 でも私の心を、とても軽くする言葉。

 

 そこから少し考えて、私は障害者手帳のための診断書をお願いした。30歳まで頑張ってもがいた私は、もう頑張れないと思った。

 

 普通の人のように、一人前に稼いで、自立しなければいけないと思っていた。それが自立だと思っていた。

 

 学校で先生に「みあさんの考える自立ってなに?」と問われたことがある。私はしどろもどろと、「食事を自分で準備できて、薬を飲めて、一人でできる・・・」と答えつつ困ってしまった。すると先生は「人の手を借りたら自立とは言わないんですか?人の手を借りても生きられたら、それは自立じゃない?」と言った。

 

 びっくりした。それまで私は、誰にも迷惑かけず、一人でなんでもできるようになることが自立だと思っていたから。そう思わされて、世間で生きてきたから。

 

 世間のほとんどの人が、「自立とはなんですか?」と問われたら、同じようなことを言うだろう。少なくとも今の日本ではそういう空気がある。一人で誰にも迷惑かけずに生きること。

 

 でも改めて考えると精神を病んだ人に限らず、それって無理な話だと思う。おじさんの説教みたいだけど、人間って一人で生きていない。誰にも迷惑かけてないと自分では思っていても誰かに迷惑かけてるし、お世話になってるし、実際のところ一人で生きている人はたぶん、まずいない。レジでお会計すれば、誰かのお世話になってることになるよね。

 

 私は初めて、ああ、一人で頑張って自立を目指さなくてもいいんだ、と思った。

 

 とは言えど母と暮らすのは困難だし、周囲の人から「本当に障害者手帳をもらうのか?そんなにお前はおかしい奴なのか?」と思われていて、「よく考えろ」と言われる。私からすれば5年近く障害者手帳から目を背けてきたから、もう取りどきだと思っている。

 

 普通のお給料はもらえないかもしれない。

 一人暮らしできるお給料はもらえない。

 障害者というだけで結婚相手は現れないかもしれない。

 ある日突然、あなたの症状は軽いからと障害者手帳を切られるかもしれない。

 

 不安なんて尽きない。でも人生は不安があって当たり前だ。

 私は障害者手帳を取らなければいけないほど、不自由な時代に生まれてきただけだ。

 

 彼のことを好きな、私に嫌がらせをしてきた女の子は、私が新学期にいなくて喜ぶだろう。

 でも私がいなくなるのを「いやだ!」と言ってくれた子もいる。

 彼はなんだかんだ、「新学期になったらいつも通りお茶しよう」とも言ってくれた。

 

 それでいいじゃないか。

 

 叔父に話をしたら意外なことに、周囲の人間で妹以外では一番冷静に話を聞いて、納得してくれた。「それが落としどころかもな」と、働いている人ならではの目線に気持ちが楽になった。

 同時に自分の勤めている会社の中の障害者雇用について少し知っていることを話してくれ、「今は企業の大きさごとに障害者の雇用義務があるだろ?日本最大といってもいい企業だから人数が多くて、ノウハウはしっかりしているぞ」と、新しい希望もくれた。

 

 ちいかわの「やりたいことリスト」のノートに1年以内にやりたいな、と思っていることを100個書き出して、日々やりたいことを見つけている。やりたいことを細分化したり足していくと全然足りなくて、書き足したりしている。

 なにも目標がないのもな、と思い、資格でも取ろうか、でも役に立つより自分の学びたいことをしたい、と、いくつか資格の取得を考えている。趣味なので食生活アドバイザーとか世界遺産検定とか、楽で簡単な試験のものばかりだが、とりあえず腕ならしにアロマテラピー検定の応募をした。

 毎日広告とにらめっこして、祖母と「なにを食べようか」と相談をしながら買い物に行く。作ったものを祖母が「美味しい」と食べてくれると何より嬉しい。

 スタバの新作に心躍らせて、買い物の帰り道に買ってきたりする。おさつバター、狂気の味。

 大阪の親友から、欲しかったけど無理だと諦めていたちいかわと阪急のコラボグッズが届いた!ももんがのぬいぐるみキーホルダーまで!北海道や福岡の友達からも心配と安堵の声が聞こえて、友人に恵まれていることに本当に嬉しくなる。

 

 私は世間一般の自立から程遠いかもしれない。

 でも辛かったら相談できる友人がいて、望みは薄いけど好きな人がいて、父親はいないも同然だけど、愛してくれる家族がいる。大好きなジャニーズもいる。

 それで十分じゃないか。私の人生は充実しているし、大好きなもので溢れているし、新しい発見があるし、それなりに楽しく日々を生きている。他になにを望む?

 

 高望みならいくらでもあるかもしれない。高みを目指したら人間はどこまでも見えてしまう。

 でも私は日常を愛している。たまに旅ができれば最高だけど、それはできる日まで取っておきたい。

 

 なににしろ、言うべきはひとつだ。

 Don't Stop Believin'!!!

 

気持ちはいつでもWelcome To New York!