クロノスタシス

 朝から思い立ってドトールまで行って飲み物が買える、いい環境にいます。そのいい環境というのはドトールまでの道のりが裏道で表通りを歩かなくていいからです。ええ。アラサーともなるとメイクもお風呂も入らず表通りに行くのは気が引けるので。

 

 

 東京って、そんないい街だろうか。そしてそんな否定するほど、夢滅ぶ街なのだろうか。

 

 私が専門学校に通っていると知る前の内科のドクターに問診中、言われた。

 「え、なんで東京住んでるの?わざわざ住む意味ある?」

 私が「一応専門学校が東京にしかないので・・・」と言うとドクターは納得したが、私は意味がわからなかった。そして病んだ。

 

 東京にいるのに、わざわざ意味が必要なの?意味を見出さなきゃここはいちゃいけないの?

 

 

 私は人が住む場所を選ぶのに理由は必要ない、と思っている。住みたい場所に住めばいいじゃない。

 まあそんな人間じゃなきゃ、関西ジャニーズに憧れただけで高校生から京都に住んで関西ネイティヴになろう!なんて思わないかもしれないが。しかも北海道から。いくら本州生まれといえども。

 

 

 人は東京にそんなに感動するのだろうか。東京に都会という感慨を持つのだろうか。

 

 

 はっきり言って私にはわからなかった。

 博物館の展覧会が大小多いのはさすがだなーと思ったが、関西のみしかない正倉院展国立博物館展、関西にしかない所蔵品を考えたら決して関西は見劣りする土地じゃない。むしろ関西の方が洗練されて海外基準的な博物館を見かけることも多い。

 関西の京都・大阪・神戸を簡単に巡れること、大阪でもコンパクトな中で20分もあれば大抵の都市部を回れることを考えると、東京は23区内でも引き伸ばされた広い土地でアクセスや移動時間の使い勝手の悪さを感じた。

 人間を考えても、境界線が変な東京人の方が田舎者っぽくて辟易した。実は人との境界線を曖昧に、でもはっきりとさせて綺麗な会話を好む関西人の方が洗練されていると思う。

 

 しかも初めて住んだのは東京都下の国立市。駅徒歩1分、立川まで1駅といっても大阪の都会ど真ん中に慣れた私はその田舎ぶりに驚かされた。そして23区内に住んだ今、23区の人からするとあそこは東京に含まれてないんだな〜としみじみ感じる。

 今も墨田区といえど、中央区まで徒歩3分、さらに千代田区に行くまでそこから2分という立地に住んでいるが、隅田川から見える首都高と家か見える景色以外はさして都会だと思って暮らしていない。

 

 だって、大阪の立地が良すぎた。

 帝国ホテルまで徒歩5分。

 関西テレビ(フジテレビ)まで徒歩3分。

 梅田まで電車で1分、徒歩15分以内。

 

 バスキンロビンズで深夜12時過ぎまでアイスクリームは食べれたし、マクドみたいなファストフードやスーパーは当たり前に24時間営業。朝5時までやっている個人営業の喫茶店だってあった。

 

 私を関西の田舎者だと思っている東京人にこれを言ったらどんな反応するんだろう。私はお育ちがいいのでそんなことまず言いませんけどね。

 

 

 東京に来て辟易した都会さというのは、そこに住む人の意識だろう。

 

 あなた埼玉出身埼玉暮らしじゃん、という人でも東京に通学したことある人なんか自分を東京人だと思ってるからタチが悪い。都会人の大薙刀振りかざしてくる。

 

 

 それはさておき、東京人って「自分たちは日本一の大都会、東京の出身だから。君たち田舎者とは違うのだよ」と思っている。そして自分は東京という街を住む理由もなく享受して当たり前だという、「自分たちだけの特権」を平気で振りかざしてくる。まるで東京に出てきた田舎者は、東京にいる意味を失ったらすぐに田舎にお帰りなさい、というように。

 

 東京が優しい街なんて嘘っぱちだと思う。すごい排他的だ。そもそも私からすると東京にしか住んだことない人が何そんなにドヤってるの?と思う。

 

 田舎から東京に来た人は来た人で、「自分はこれで都会人」という安堵と見栄でいっぱい、なんて人もいると思う。なんか日曜日の渋谷とか間違えて行っちゃうとそんな人間でいっぱいだなあ、と思ってしまう。あくまで感覚だけど。

 

 夢を失ったら東京から去る必要なんてあるのだろうか。

 新しい職を見つけてそこで暮せばいいじゃない。

 帰りたくない理由がある人だっているんだもの。それに10年近く東京で暮らしてしまえばもうそこが居場所でも何らおかしくないだろう。

 

 

 私が東京にいる理由はいまだによくわからない。妹の進学にひっついて自分も関東の大学院に行こうと思って、関西関東の断絶とかに思ったより苦労してとかナントカで進学を諦め、職を得るため学校にいる。でも別にそれが東京の学校の方が入りやすかったからで、東京でなければいけない理由はさしてない。うまくいかない時期は「関西に帰りたい」ばかり言っていた。

 

 強いていうなら関西の持つ「無理・諦め」の文化に嫌気がさしたからだろう。女の子だから、大学院を出たから、病気になったんだから・・・諦めなさいと何度言われたことか。

 それが嫌になって、夢追い人が何となく許される東京の方が居心地がいい気がしてここにいる。でも多分、よっぽどのことにならないと関西に帰らないかもなあ、という気もしている。

 

 父からの経済的支援を打ち切られた時、私はどこかに帰るだろうか。多分帰らない。だって、名古屋も北海道も帰るには他人の土地すぎる。関西になら経済的に東京より楽だから、と帰る可能性もあるが、職を探してでも今の土地に住み続けたいと今は思っている。

 

 

 強いていうなら、私は人の言う「都会」から離れて住めないのだ。

 散歩できない土地は無理、自由に行きたい場所に好き勝手に行けない土地は無理、何もない土地なんて無理、山手線や大阪環状線のない土地なんて無理、博物館のない土地なんて無理、なんだもの。

 これは若いからというより、そういう土地に馴染んでしまってそれが当たり前になっているからだと、多摩に住んで痛いほどわかった。そういう人間は余程の仏じゃないと都会以外には住めない。

 

 東京に来て5年目、だろうか。ジタバタもがきながらまだ東京にいて、離れる気もなく、でも確固とした信念があるわけでもなくなんとなく東京にいる。ジャニオタ仲間のお姉ちゃんには「試写会に行ける、その土地を逃すな!」と言いつけられているが。

 

 そういえば東京に来たときもそんなんだった。

 関西にも10年近くいたし、もうそろそろ新しい土地に行ってもいいかな。関東に行けばまた違う研究の世界があるかもなあ・・・違う目線が持てるかも。

 その程度の考えで、東京に来たんだった。

 ということは、私はきっとこのままなんとなく東京にいて、もうそろそろ新しい土地に行ってもいいかな、と思ったら東京を出ていくのだろう。それが日本なのかは、もはやわかんないし、それだから楽しいのだけど。

 

 とはいえ結婚してもおかしくない歳だから、こないだ結婚を決めた友人が「これで一生大阪から出ない」と言ったように、私にとって東京が最後の土地、になってもおかしくないのかもしれない、というのだけ、心のすみっこに思っておこう。

 

 でも庶民の食生活は間違いなく関西の方がクオリティ高いので東京もそうなれよ、もうちょっと頑張れよ、とは思っている。

 

 

 

 

この街にこうやって慣れていくのかな