証拠

 北海道の山奥で祖母に毒される前に北見のブログを書きたい、と思ったら電波死んでるし、おかげでPCのブラウザは文字を打っても動かないしで、一時間格闘してiPadで打ち始めた。なんとなく物理キーボードで打たないと落ち着かないが、これもまたサバイバルの一種だろう。なんか部屋に何匹も虫が飛んでいるし、コンビニは15分程度車で走らなければない。そういうところへ来てしまったのだから、サバイバルするしかない。

 

 北見での宿泊を予定より1日延長してまで、親友たちと遊びまくった。遊びまくったと言ってもお茶を延々として食事をしたぐらいで、それも子ども付きだったりで、そう優雅な時間は過ごせたわけでもないかもしれない。

 でも、相手によってばらつきがあるが、3年会わなかった子もいれば、10年近く会わなかった子もいる。日常的にLINEで連絡を取り合っているのもあるが、まるで昨日ぶりに会ったかのように話せるのは、彼女たちが本物の友だからだと思う。焼肉をしても遠慮しない、肉の譲り合いが起きない関係、素晴らしい。

 

 でもびっくりしたことも多々ある。夫が転職を繰り返して生活が安定しないとか、夫とはいつでも離婚できるとか、親友の前歯がほとんどなくなっていたとか、ショックもまた尽きない。

 

 この帰省の前に、母から私の親友たちについて「得体の知れないあんたの友達なんか」と暴言を吐かれ、私は傷ついていた。たしかに、母からすると生活階層が違う、付き合ってほしくない貧困層に当たる子達かもしれない。

 まあ5歳の子供がシートベルトをつけずに車に乗せられているとか、ショックだったから2回いうけど前歯がないとか、たしかに私が生きてきた世界とはちょっと違う。でも、ひねくれてわけのわからない中学生時代の私を受け入れてくれたのは、彼女たちだった。

 

 10代の私たちは、それぞれ家庭の事情とかが複雑な方の人間で、いつもクラスからなんか外れていて、それもあって学校というコミュニティを斜に構えて見てた。

 ついでに言うと都会育ちの私は常になんかやっかまれていたし、私の持っている可愛い絆創膏や頭痛薬は欲しがって擦り寄ってきたり、ジャニーズショップで生写真を頼まれたから買ってきても、その代金を平気で渡してこない、そのうえで私をいじめてくる人間にうんざりしていた。

 

 だからこそ、4人の親友たちと過ごす時間は最高だったのかもしれない。

 何気ない帰り道、学校帰りにいつも寄る親友の家、学校からの逃亡、サボり、親がいないときのお泊まり。

 多分かなり恥ずかしい状態もお互い晒しあったし、今考えれば私の行動子どもだったな、相手のほうが大人だったとか考えることもある。でもそれがあるから、今、たとえ10年会わなくても、親友のままなのだろう。

 

 特に一人とは、なぜか似通う部分が多く、多分これがソウルメイトというものなのだろう、と感じている。でもべつに、親友たちの中に優劣はない。みんな最高だから。

 

 生活レベルも、生きてきた世界も、学校という世界から出れば全く違うかもしれない。でもたしかに、彼女たちは私を、お互いを否定しない、優しい関係だと思う。まあある意味で、相手の生き方に干渉しないというクールさもあるかもしれないけど。

 

 彼女たちの働き方や、子どもへの対応を見ると、都会の逼迫した価値観とはまったく違い、さすが北海道、アメリカっぽい世界だなと思う。特にお金がなくても食費について深く考えない、たくさん買いよく食べるの、アメリカと北海道の共通点だと思う。

 

 でもなにより、北見に帰ってくると(父親の存在と過去のいじめを無視すれば)感謝しか感じない。

 毎回ほとんど親友の誰かが空港まで迎えに来てくれること、子どもたちに会わせたいと思ってくれること、1人で食事をとることがないほど誰かしら一緒にいてくれること。無論、自分が都会に住めていることへの感謝も感じてしまうが・・・

 この山の中に来るまでに見えた紅葉は、本州と比べるとなんかギラギラしていてコントラストが激しい色で、けばけばしい。でもそれがとても懐かしい。

 空港に飛行機が降り立てば「ただいま」と呟き、帰りは飛行機が飛び立つと少し泣いてしまう。

 外の空気の匂いに、懐かしさしか感じない。

 

 母は「あなたの故郷は名古屋だ」と不服だろうが、私の故郷は間違いなく北海道だ。

 大嫌いで、愛しい北海道。

 

 親友たちと会えるのが次はいつかわからない。でも私たちは、一週間後には会うかのように、ただ普通に別れた。

 死ぬときまで、この関係が続けば嬉しいし、人生でこんな友人を3人も持てたことを幸福に思う。

 

 とりあえず、おばあちゃんとの生活というサバイバルを生き抜こう。

 

 

 

焼肉は気のおけない人と食べないと