Will you marry me?

 アラサーは結婚に敏感だ。

 周りからの圧も本格的にかかってくるし、自分自身でもこのままでいいのか葛藤し始める。結婚と向き合わざるを得ないアラサーなんてこの世にいるのだろうか?

 

 医者に言われた。

 「女医さんって30過ぎると如実に焦り出すんだよね。人体の不思議なんだけど、どんなに科学技術が発達しても妊娠できるのは35歳までなんだ。初めての妊娠の話だけどね。35までに妊娠したことある人はその後も妊娠できるんだけどね。したことない人は35歳がリミットなんだよ。」

 

 最初はふーんと聞いていたけど、ある夜中に自覚した。

 35歳って、あと6年しかないじゃないか!私が妊娠できるタイムリミットはあと6年しかないってこと!?

 

 リアルに発狂するかと思った。小学校6年分。当時は長くて長くて途方にくれたけど、今となっては短い。たった6年。私はその現実に叫びたくなった。

 

 私は28歳だが、未だ学生である。結婚を考えられる立場ではない。

 でもたった6年。早くとも31歳にしか職に就ける予定のない私である。その後だって就職してすぐ妊娠できるわけがない。仕事に慣れるまで数年かかるだろう。同時に、失った20代の自由を満喫する気満々だった。行きたい国はたくさんあるし、見たいものもたくさんある。ジャニーズの現場だってお金を持ってガッツリ通ってみたいし、同年代が今頃お金が貯まってできている全身脱毛だってできるだけ早くしたい。

 

 今だって、言ってみれば自由だ。休日には一人で鳥貴族に行って、好きなだけ眠って、平日でも休日でも思いつきで映画に行ける。とうに結婚して家庭持ちになった親友たちに比べれば、金銭的にも時間的にも自由なのは事実である。

 でもたくさんの犠牲を払って私は20代を無駄にした。空白にした自覚がある。それは自分のせいだったり、今となっては遠くなった父のせいでもあるのだけれど。

 

 

 

 

 結婚?考えられない。だって私、まだ何者にもなれてなくて、何もできてないんだもの。

 

 

 

 

 北海道のかつてのクラスメイトたちは、そんなこと考えず、当たり前にみんな家庭持ちになって、家族のために働いているんだろう。

 医者に生きる意義を唱えられて、私も「それは東京の価値観」と蹴り飛ばした。医者は反論してきたけど。

 

 

 先週、腐れ縁の男子と電話をした。4時間も電話して、お互い「君だからぶっちゃけるんだけど」のオンパレードだった。

 最後に「まあみあちゃんも、な、俺も社内恋愛禁止とかじゃないし、いつそんなんするかもわからんし」と結婚の可能性を暗に言われた。

 

 迷った。強がって「へえ、そう」とだけいうべきか、素直にイラついたことを言うべきか。

 私は強がるほど強くなくて、素直に伝えられるほど、伝えていいほど彼への愛を持ち合わせてなかった。

 

 「私が一人にしないでって泣いたらどうする?」

 

 これが私に言えた最大の言葉だった。

 

 彼は「悩む」と言ってその電話は終わった。

 

 

 そこから数日後、私は黄昏ていた。私はいつも反応が数日遅い。

 SnowManのEVERYTHING IS EVERYTHINGが身に染みる。ってことは私失恋したの?

 それはなんか違う。じゃあなに?

 

 私は彼は「私のもの」だと思っていたのだ。

 彼には今まで通り恋人ができなくて、いつも私の悩みを聞いてくれる。寂しいときはいてくれる。だから私より先に結婚するはずないし、私が結婚できなかったときにはセーフティネットになってくれるだろう。

 

 すっっっごい思い上がりと自己中の塊である。

 でもとりあえず、彼の他へ向いた結婚の視線がショックだったのだ。

 

 知り合って14年。どんなときの私も知っている。

 お互い家庭環境が違えど複雑なことは似通っていて、恋愛観やセックス観も同じ方向を向いている。ここまでうまくいきそうな相手は、前にも後にも出てくるとは思えない。

 でも恋愛にはならない。

 

 だって無理だ。私はもう遠いところに来てしまったのだから。

 

 ずっと関西に帰りたいと思っていた東京生活。両国に住み始めてやっとその呪縛から解放された。

 つまり私は、関西へ帰る理由がなくなっている。もうどこに住んでいても自由なのだ。

 いろんなところに住み続けた私。対して京都から出たことのない彼。

 彼に対して「もう数年で戻るから、待っていて」なんて言える立場じゃなくなっている。そのくらいなら、彼は社内恋愛で可愛い事務員さんでも見つけるべきだろう。

 

 私はいつになったら結婚できるんだろう?

 

 いつもの美容院で、ジャニオタ仲間のお姉ちゃんに結婚への不安を話した。お姉ちゃんは独身でジャニオタやってて、その自由気ままな生活は甥や姪から「将来はそうなる!」と言われるそうだ。

 でもお姉ちゃんは「誰にも私みたいになるのは勧めていない。やめとけって言う。」と言った。その言葉はお姉ちゃんの子どもを生まなかった、結婚を選ばなかった人生の哀しさが詰まっていた。

 

 私は現実逃避に考えた。

 そのとき応援しているジャニーズによって、住む場所変えればよくない!?関西ジャニーズのときは大阪帰って、東京ジャニーズのときは東京で!

 立派な現実逃避である。

 でも私は、そうとしか言えないくらい、人生を捧げるのがもうジャニーズだけなのかもしれない。というか結婚しようがしまいが、ジャニーズに自分の一生を捧げようと決めているが。

 

 でもね、ジャニーズは老後の面倒を見てくれない。

 

 ほら、やっぱり結婚に戻るじゃん。

 

 かつて私が苦しんでたとき、彼が喉元まで言いそうになった決めた覚悟を、うっすら感じたことがある。でも彼は言葉にできなかった。

 私の病気、環境、これからの不安。彼もそんなことを考えて、決定的なことを言えないのだと悟った。

 

 多分これからも同じで、そしてこれから現れるかもしれない男性も、同じことで決定的なことはなかなか言えないだろう。結婚の行き着く先はハッピーエンドじゃない。だから不安要素の多い私は結婚という枠から外され続けてもおかしくない。

 

 結婚。近くて遠いその制度は、私をどこまで悩ませるんだろう。タイムリミットの6年間が過ぎていくなかで、私はなにをして生きているんだろう。

 

 私は鬼滅の刃を読まない。なぜなら独身女性の母性を揺らしてくる作品だと聞くから。

 私はファミリー層の多い街に近寄りたくない。手に入らないものを渇望してしまいそうだから。

 もっと言うなら私は子どもを遠巻きにしか見ない。もしもうっかり欲しいなんて思ったら、叶いそうにない現実に絶望しなければいけないから。

 

 私はいつまでこんな自由で、不自由を渇望する生活をするのかな。

 

 刀剣乱舞のコピペBOTで、好きなものがある。

 

怒ることに飽きたら許してみましょうか。

悲しむことに飽きたら眠りましょうか。

執着することに飽きたら手放しましょうか。

嘆くことに飽きたら進みましょうか。

自分が嫌なら動いてみましょうか。

そんなふうにしなやかにふわりふわりと幸せを捕まえにいきましょう。

 

 誰のコピペなのか全くわかってないけど、私は数年前、この言葉に何かを救われた気がした。

 

 とりあえずは予想のつかない将来に怯えるより、ふわふわと生きていたいな。

 今日の阿部ちゃん最高にかっこいい、最近は渡辺翔太がきてる!漁ってる!

 そんなんでもいいじゃん。

 女王蜂のHALFでも聴きながら、自由で不自由を渇望する生活を続けたらいいじゃん。

 虚しくなったらまたブログに書けばいい。

 

 彼にいつものTwitterみたいなLINEをすることは控えてるけど。普通に連絡していいと思える日はまたくるのかな。

 

 こなくても、ゆるりふわりと、自分の好きなように生きていられたらいいな。

 

 Youtubeでたった2秒ほどの映像だけで、「この曲絶対良曲!!!」と思い、キスマイのCDを購入した。

 同時に今日話題になっていたYa-Ya-YahのCDも、懐かしくなって購入した。

 届くのが楽しみ。こんな少しの出会いで人生が彩れるなら、どんどんやっていこうじゃないか。

 そうやって、人生を積み重ねていきたい。その結果が人生だもの。

 いつも思っている「将来より今」をまあ、不安だけど実践して生きていきましょう。

 

まあとりあえずあの薬をやめさせてもらってダイエットはしたい

 

アラサーは迷い続ける、永遠に。

 アメリカのドラマや映画を見るとそのまま英語しか聞きたくなくなる。こんな現象はないでしょうか。

 そんなことは関係ないブログですが、今回は重い。人生の重みです。

 

 

 先日、約5年ぶりに高校と大学が一緒だった友人からLINEがきた。彼女との仲は親友と言っても差し支えないだろうが、病気になったのをきっかけに気持ちがしんどくなって縁を切っていた。

 

 突然の連絡に驚いたものの、彼女のその後が気になっていたのは事実だしお返事をして、気付いたら2週間後には東京で会う約束になっていた。

 不安もありつつ再会した彼女は変わらず、心配していたお泊まりもお互いのマイペースがうまく噛み合ってストレスなく過ごせた。

 

 でも彼女を新幹線口まで見送って別れてみると、頭の中はショックでいっぱいだった。

 まずは「自分のファッションが若すぎる!」とOLファッションをする彼女を見て衝撃を受けたのだが、これはまあ置いておく。多分後日語りたいけど。

 

 びっくりしたのは、彼女が1年半付き合った彼氏と子どもが欲しいか欲しくないかで別れたことだった。彼氏が子どもは欲しくないと言って別れを決意したというのだが、私は「え、私たちってもうそんなこと考えて付き合う相手を考えなきゃいけない年齢なの?」ということに驚いた。

 

 そして次に驚いたのが、彼女が今付き合っている相手は街コンで見つけたということだ。

 足繁く街コンに通い続けて、子どもが欲しい、結婚を前提にした付き合いをしたいということをお互いに了承しあって付き合い始めたそうである。写真を見てみると優しそうな人で、このままこの人とゴールインするだろうな、と何となく思った。

 

 私って、もうそんな年齢だったの?

 

 単純にそう思った。そして次々と不安が襲ってきた。

 

 28歳。若い気もするし、そこそこの年齢な気もする。

 とりあえずジャニーズにハマっているというと、年配の女性たちは皆怪訝そうな顔で「こいつ自分の結婚を考えて現実を見ろよ」みたいな反応をしてくる。自分自身もなんとなく、身近な独身の先輩オタクを思い浮かべて「多分そっちの仲間入りするな」とうっすら思っている。

 それ以上に大学院を出たことと療養期間があったうえに、今さら職のために学校に通っていて31〜32歳までまともな職を得られる予定のない私はまだまだ学生気取りで、結婚なんてずいぶん先のことに思えた。

 

 いつの間にそんな年齢になったのだろう。

 

 

 そう考えながら私は深夜に散歩をして、午前2時の隅田川のほとりで音楽を聴きながらお茶を飲んだり、明治座の先まで歩いて24時間営業の成城石井で買い物をしてたりする。

 

 この時間が好きだ。

 街に人がいなくて空気が冷たく濃く、首都高にトラックが行き交っているのを横目に見る時間。

 

 結婚したらこんな自由はなくなるんだろうな。そんなの耐えられない、私は結婚しないのだろうかと、答えのない疑問を頭の中でぐるぐる回らせながら。

 

 

 その疑問を持ちながら2日間苦しんだ私は、自分がめちゃくちゃ結婚したいことを認めた。

 私は愛情を向けられる相手と結婚して一緒に暮らして、しあわせになりたい。

 

 でもその一方で、何よりも大きな声がそんなの無理だよ、と囁くこともなく大声で断定してくる。

 

 恥ずかしながら、高校時代は女の影がチラつくってこういうことかというような相手と付き合って「お前の方が金持ちだし」とうまい具合にデート代やプレゼントを出さされるような相手とずっと不安定な付き合いを繰り返していた。

 大学時代には前の恋愛から学んで「浮気の心配がゼロの人と付き合いたい」と有言実行したら私を束縛して下に見てたい男で、彼の予定金額に達すると私がホテル代を出させられるようなケチ(自分の趣味の鉄道模型は買いまくる)と付き合って、最終的には彼の母親が結婚後どれだけ家庭内に立ち入ってくるか丸わかりの、お義母様の夢物語を聞いてこりゃ無理だと別れた。

 

 ロクな恋愛をしてこなかった私は自分に恋愛運がないことを悟り、彼氏は作らないことに決めた。それでも何度か恋をしかけるような甘いドキドキ感はあったが、それ以上のことは望まなかった。

 

 自分のその気持ちに迷いはない。

 私は多分、男性と付き合うと妻みたいに世話をしだして相手をつけ上がらせる。

 結婚して専業主婦にさせてくれて、その上で「いつも家のことやってくれてありがとう。君は頑張ってるね」と言ってくれるような男性じゃないと、私の尽くしっぷりでは釣り合いが取れないのだ。そしてそんな男性私のもとには回ってこない。

 

 そう思ったから一人でも生きていける手に職をつけようと今の学校にいるのだ。

 

 私の人生の段取りは何も間違っていない。

 この4年間学校に通い臨床検査技師になって、自分で稼ぐ。

 そこそこ豊かな生活をしながら父親と縁を切り、あわよくば好きな国を旅行したり、大学院に通い直す。この仕事なら大学院に行きながらでもパートでそこそこ稼げるし、一度やめても再就職がたやすい。

 もし良い出会いがあって結婚したとしてもいつでも離婚できる経済力があるし、夫に稼ぎがあれば給料を小遣いにしてもっと豊かな生活ができるし、大学院の学費だって貯めやすい。

 

 どうするにも保険が効いて、自分の尊厳を守って、豊かに生活できるはずだ。

 そのために今はがむしゃらに頑張ればいい。どちらにしろこの4年間に結婚できるわけがないのだから。

 

 でも不安が尽きない。

 周りが結婚していくこと、子どもが生まれること。

 自分がこのままひとりで生きていって、あるとき急に結婚も子どももないという暗闇に飲み込まれてしまうかもしれないこと。

 自分の好きなジャニーズが結婚発表をしたとき、自分は独身で手元に何もない現実を受け入れられないかもしれないこと。

 結婚した元彼に子どもが生まれて、それに対して何も持っていない自分にショックを受けるかもしれないこと。

 

 どれも急に、明日にでも起こりうることだ。それが怖くてたまらない。

 でもだからといって深夜に散歩しているような自由な身分を、自分が失うことも考えられない。

 

 結局のところ、何をしていても不安なのだ。

 結婚をしたらしたで、私は夫の浮気と離婚を心配し続けるだろう。

 それは不運な恋愛の結果であり、親の夫婦関係を見てきたからであり、自分の性格のせいである。

 だからと言って結婚をしない、子どもを持たない劣等感も抱え続けなければいけない。

 

 今回友人と会ってすぐ、アフタヌーンティーをした。

 お茶が出てきた時点という早さで、友人は私に質問した。

「みあちゃん結婚はどう考えてる?子どもは欲しい?」

 うーん、と唸りながら私はすぐ、「結婚はいい出会いがあればしたいけど、子どもは欲しくない。怖いから」と答えた。多分、それが私の本心で、私のすべてである。

 

 

 もしも本当にいい人と出会えて、ディズニー映画のような、御伽話のような"True Love's Kiss"の相手が現れたとしたら、私は結婚するだろう。

 でもそれがなければ結婚しないし、結婚したとしても子どもは持たない。それが本音である。

 

 

 不安に思うことはいくらでもある。

 こんな真っ当に婚活して、「人生の目的は結婚と子育て」だと信じてやまない友人の話を聞けば、今回のように苦しんで悩むだろう。

 深夜の散歩をしながらその開放感と一緒に、心配してくれる人が誰もいない虚しさを味わう。

 いつかくるかもしれない暗闇に怯える。

 

 でも私は、人より苦しんで生きてきてこれからも多分そうで、それでも強く立っていようとする人間だから。

 器用じゃないから軽やかに、とはいけないけど、ときに苦しみながら、それでもロリィタ服という戦闘服でも着て、若干年齢不詳で、戦いながら、生きていきましょう。

 

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苦しんでもその時々に、いろんな感動に出会えたらいいな。

 

 

 

 

 

オタクをする喜びと哀しみ。それは自虐趣味。

 学校生活にも慣れてきて、授業終わりには夜の散歩。隅田川付近を歩くと屋形船や古くて小さな店があったりして楽しいこの頃です。そしてリバーサイドが夜になっても走ってる人やカップルがいたりして危なくない。大阪なら間違いなく夜のリバーサイドなんて危険で歩けたものじゃないのにな、東京は安全な街だな、と驚くばかりです。

 

 そんな散歩道、今日はキンプリの曲をひたすら聴いていました。別に東京の下町に似合う曲じゃないんだけど。多分渋谷とか恵比寿みたいな、ジェシーが出没しちゃうような街に似合う曲ですよね。キラキラ。

 

 そんな曲を聴いていると思うのはオタクのつらさ。

 オタクは偶像崇拝。あくまでアイドルや俳優の顔をしてる彼らの顔を見て喜んでいる。それでも彼らの真実に迫りたいと思うからこそ、私生活の話が尊ばれて、夢小説が生まれているのが現実だろう。

 

 彼らの曲を聴きながらふと思うのだ。私は彼らの何を知っているのだろう。本当か嘘かもわからない話をする雑誌を買い漁っても、俳優をしているドラマを見ても彼らのことをこれっぽっちもわかっていないはずだ。だって偶像崇拝だから。彼らだって偶像としてのキャラクターを私たちに見せているわけだから。

 密かに尊敬しているオタクの先輩の言葉を借りると、「ナマの人格のまま俳優やアイドルなんかやろうとしたら、1日で精神が死ぬと思う」なのだ。その通りだと思う。

 

 でも、だからこそ、真実を知りたいと思う。彼らの素の部分を垣間見たい。あわよくばその魂に触れてみたい。

 

 見たいけど、見れない。だから雑誌を買い漁り、出演作を見て、ラジオを聴く。ときに人の妄想を見てイメージを補完する。

 

 それでも彼らの本心なんてこれっぽっちも見えなくて、哀しくなる。自分の買い集める雑誌にどれほどの価値があるのかわからなくなって泣きたくなる。

 

 でもそれをすべてひっくるめた先までが、アイドルなのだ。もっと露悪的な言い方をしたら、それが商売だ。

 見えないものを見たくて余計に見る。お金を落とす。もっと見たくなる。それを繰り返して幸せになって、たまに哀しくなる。それだけのことなのだ。

 

 余談だが、たまに素の彼らが見たいのか、偶像の彼らが見たいのか分からなくなるときがある。それは素の彼らを見ても愛せるのかとか、表向きの彼らしか好きじゃないのではとか、愛を試されているような気持ちになる。考えるだけ無駄な話なんだけどね。

 

 オタクを現実の人間関係からの現実逃避だという人もいる。

 でもオタクはやっぱり自分の趣味の中でも、人と対峙しているのだ。相手から自分が見えないつらさと、その気楽さを抱えながら楽しくなったり哀しくなったりして生きている。それは人間関係の悩みじゃない、とは言えないと思う。永遠の片想いだけどさ。

 

 ふとした瞬間に決して彼らの本心を知ることができないことに哀しみながら、それでもやっぱり彼らのことが好き。

 つくづく自虐趣味だな、と笑ってしまいたくなる。

 

 行き過ぎた感情になるとこれがストーカーという異形の形になるのだとなんとなくわかる。

 でも私は彼らが好き!と思っても、他のファンのほうがもっと深い愛を持っているだろうと何となくスン、と現実を見てしまうので、ストーカーにはならないだろうという謎の安堵を抱えている。

 しかしながら、ジャニオタをしながら彼氏や夫を持てるほど自分って器用じゃないな、とも思うのでジャニオタしてる限り結婚できないかもしれないという悩みは抱えている。

 

 そんな自虐趣味の痛みを持ちながら婚期を逃し、それでもオタクをする自分はドMの変態なんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうね。オタクみんなドMでは?

 

 そんなオタクなみんなに幸あれ。

 GW映画館開いてないからコナン見にいけなくても、イベント制限が6月まで伸びて追加抽選が無駄になっても、みんな生きろよ!私も生き延びる!

 

 

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諦めと滑り出し。

 ふと尊敬と少しの妬みを抱える人のブログを見ていて、自分もやってみようか、と重い腰がすんなり上がった。

 

 様々なオタクをしていたのが一周回ってジャニーズに戻ってきたからもあるかもしれない。専門学校の合格が決まって、春からまた後戻りできない生活に追い込まれるからかもしれない。妹が最近眠れないからと私のベッドを朝の4時まで占領しているので、リビングで暇を持て余しながらひたすらSixTONESを見てるからかもしれない。

 深い理由はわからないが、やってみようかと思いつつやっていなかったことをやる気になった。

 

 文章を書くのは好きだ。というより、本来これを生業とすれば一番しあわせだと知っている。大学院も出てきてしまったことだし、しばらくは入りたくても入れない身分なので、「書く場所」が欲しかった。逆にいうと、「書く場所」を見つけてしまうのは大学院に行っていた自分との決別のようで、決心がつかなかった。

 今までならレポートや論文で自己表現できていたのが、それを失ったという現実は私にはまだ苦しい。

 

 でもこれからの数年間、何が起ころうとも私は変化しなければ生きていく道が見つからない。

 例え専門学校で挫折してもまた新しい環境で仕事を見つけなければいけないし、専門学校にいれたらいれたで、ありえない勉強をこなさなければいけない。

 

 そんなときに見た、感じた、味わった記憶をブログに留めておいて、あとで見返すのも悪くないと思った。できることなら見返すとき、苦しい気持ちではなく前向きな気持ちで眺めたいという願望と願掛けが込められているかもしれない。

 

 "Laugh" In the LIFEな生涯を送りたい。

 そんな気持ちを大切にしながら、病めるときも健やかなときも、このブログを綴れたらと思う。

 情勢的にも個人的にも海外に行けない日々だから、NYのこととかも綴りたいな。

 

 

 

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