クロノスタシス

 朝から思い立ってドトールまで行って飲み物が買える、いい環境にいます。そのいい環境というのはドトールまでの道のりが裏道で表通りを歩かなくていいからです。ええ。アラサーともなるとメイクもお風呂も入らず表通りに行くのは気が引けるので。

 

 

 東京って、そんないい街だろうか。そしてそんな否定するほど、夢滅ぶ街なのだろうか。

 

 私が専門学校に通っていると知る前の内科のドクターに問診中、言われた。

 「え、なんで東京住んでるの?わざわざ住む意味ある?」

 私が「一応専門学校が東京にしかないので・・・」と言うとドクターは納得したが、私は意味がわからなかった。そして病んだ。

 

 東京にいるのに、わざわざ意味が必要なの?意味を見出さなきゃここはいちゃいけないの?

 

 

 私は人が住む場所を選ぶのに理由は必要ない、と思っている。住みたい場所に住めばいいじゃない。

 まあそんな人間じゃなきゃ、関西ジャニーズに憧れただけで高校生から京都に住んで関西ネイティヴになろう!なんて思わないかもしれないが。しかも北海道から。いくら本州生まれといえども。

 

 

 人は東京にそんなに感動するのだろうか。東京に都会という感慨を持つのだろうか。

 

 

 はっきり言って私にはわからなかった。

 博物館の展覧会が大小多いのはさすがだなーと思ったが、関西のみしかない正倉院展国立博物館展、関西にしかない所蔵品を考えたら決して関西は見劣りする土地じゃない。むしろ関西の方が洗練されて海外基準的な博物館を見かけることも多い。

 関西の京都・大阪・神戸を簡単に巡れること、大阪でもコンパクトな中で20分もあれば大抵の都市部を回れることを考えると、東京は23区内でも引き伸ばされた広い土地でアクセスや移動時間の使い勝手の悪さを感じた。

 人間を考えても、境界線が変な東京人の方が田舎者っぽくて辟易した。実は人との境界線を曖昧に、でもはっきりとさせて綺麗な会話を好む関西人の方が洗練されていると思う。

 

 しかも初めて住んだのは東京都下の国立市。駅徒歩1分、立川まで1駅といっても大阪の都会ど真ん中に慣れた私はその田舎ぶりに驚かされた。そして23区内に住んだ今、23区の人からするとあそこは東京に含まれてないんだな〜としみじみ感じる。

 今も墨田区といえど、中央区まで徒歩3分、さらに千代田区に行くまでそこから2分という立地に住んでいるが、隅田川から見える首都高と家か見える景色以外はさして都会だと思って暮らしていない。

 

 だって、大阪の立地が良すぎた。

 帝国ホテルまで徒歩5分。

 関西テレビ(フジテレビ)まで徒歩3分。

 梅田まで電車で1分、徒歩15分以内。

 

 バスキンロビンズで深夜12時過ぎまでアイスクリームは食べれたし、マクドみたいなファストフードやスーパーは当たり前に24時間営業。朝5時までやっている個人営業の喫茶店だってあった。

 

 私を関西の田舎者だと思っている東京人にこれを言ったらどんな反応するんだろう。私はお育ちがいいのでそんなことまず言いませんけどね。

 

 

 東京に来て辟易した都会さというのは、そこに住む人の意識だろう。

 

 あなた埼玉出身埼玉暮らしじゃん、という人でも東京に通学したことある人なんか自分を東京人だと思ってるからタチが悪い。都会人の大薙刀振りかざしてくる。

 

 

 それはさておき、東京人って「自分たちは日本一の大都会、東京の出身だから。君たち田舎者とは違うのだよ」と思っている。そして自分は東京という街を住む理由もなく享受して当たり前だという、「自分たちだけの特権」を平気で振りかざしてくる。まるで東京に出てきた田舎者は、東京にいる意味を失ったらすぐに田舎にお帰りなさい、というように。

 

 東京が優しい街なんて嘘っぱちだと思う。すごい排他的だ。そもそも私からすると東京にしか住んだことない人が何そんなにドヤってるの?と思う。

 

 田舎から東京に来た人は来た人で、「自分はこれで都会人」という安堵と見栄でいっぱい、なんて人もいると思う。なんか日曜日の渋谷とか間違えて行っちゃうとそんな人間でいっぱいだなあ、と思ってしまう。あくまで感覚だけど。

 

 夢を失ったら東京から去る必要なんてあるのだろうか。

 新しい職を見つけてそこで暮せばいいじゃない。

 帰りたくない理由がある人だっているんだもの。それに10年近く東京で暮らしてしまえばもうそこが居場所でも何らおかしくないだろう。

 

 

 私が東京にいる理由はいまだによくわからない。妹の進学にひっついて自分も関東の大学院に行こうと思って、関西関東の断絶とかに思ったより苦労してとかナントカで進学を諦め、職を得るため学校にいる。でも別にそれが東京の学校の方が入りやすかったからで、東京でなければいけない理由はさしてない。うまくいかない時期は「関西に帰りたい」ばかり言っていた。

 

 強いていうなら関西の持つ「無理・諦め」の文化に嫌気がさしたからだろう。女の子だから、大学院を出たから、病気になったんだから・・・諦めなさいと何度言われたことか。

 それが嫌になって、夢追い人が何となく許される東京の方が居心地がいい気がしてここにいる。でも多分、よっぽどのことにならないと関西に帰らないかもなあ、という気もしている。

 

 父からの経済的支援を打ち切られた時、私はどこかに帰るだろうか。多分帰らない。だって、名古屋も北海道も帰るには他人の土地すぎる。関西になら経済的に東京より楽だから、と帰る可能性もあるが、職を探してでも今の土地に住み続けたいと今は思っている。

 

 

 強いていうなら、私は人の言う「都会」から離れて住めないのだ。

 散歩できない土地は無理、自由に行きたい場所に好き勝手に行けない土地は無理、何もない土地なんて無理、山手線や大阪環状線のない土地なんて無理、博物館のない土地なんて無理、なんだもの。

 これは若いからというより、そういう土地に馴染んでしまってそれが当たり前になっているからだと、多摩に住んで痛いほどわかった。そういう人間は余程の仏じゃないと都会以外には住めない。

 

 東京に来て5年目、だろうか。ジタバタもがきながらまだ東京にいて、離れる気もなく、でも確固とした信念があるわけでもなくなんとなく東京にいる。ジャニオタ仲間のお姉ちゃんには「試写会に行ける、その土地を逃すな!」と言いつけられているが。

 

 そういえば東京に来たときもそんなんだった。

 関西にも10年近くいたし、もうそろそろ新しい土地に行ってもいいかな。関東に行けばまた違う研究の世界があるかもなあ・・・違う目線が持てるかも。

 その程度の考えで、東京に来たんだった。

 ということは、私はきっとこのままなんとなく東京にいて、もうそろそろ新しい土地に行ってもいいかな、と思ったら東京を出ていくのだろう。それが日本なのかは、もはやわかんないし、それだから楽しいのだけど。

 

 とはいえ結婚してもおかしくない歳だから、こないだ結婚を決めた友人が「これで一生大阪から出ない」と言ったように、私にとって東京が最後の土地、になってもおかしくないのかもしれない、というのだけ、心のすみっこに思っておこう。

 

 でも庶民の食生活は間違いなく関西の方がクオリティ高いので東京もそうなれよ、もうちょっと頑張れよ、とは思っている。

 

 

 

 

この街にこうやって慣れていくのかな

 

 

星を探すことさえできない今日

 頭痛が酷い。鎮痛剤を飲んでもなんの効き目もなく、頭の左後ろをズキズキとさせるそれはコロナの再来のようだ。実際のコロナはもっと辛かったはずだけど。

 

 先週、名古屋から帰ってきてからとにかく体調が悪い。新幹線の中で「これはもうやばいかも」という状態で、当たり前ながらその日は休んだ。翌日は知り合いのマダムとの約束があったからこれだけは、と頑張って行ったが、結局私は先週いっぱい学校には行けずじまいだった。

 実習は休んでもレポートをすべて出さなければ試験は受けられない、イコール単位が取れない、なのだが、先週ほぼレポートじゃないかというような手順書をクラスLINEに上げている人がいたので大丈夫、今週もやってくれるだろうと思ったら今週はなかった。なぜだ。

 まあそういうのに頼ってはいけないんですけど、この体調の悪さでちょっと億劫だな、と思っている。

 

 1週間。先週は月・金休みだったから3日間の欠席なわけで、今なら取り返せる。でも今の気持ちはそれがあまりにも億劫なのである。

 

 休み過ぎで先生からの信用は間違いなく失っているし、今度こそ頑張らねば。10月からの後期ではきちんと学校に行って「こいつがんばったから、進級させてやるか」と思ってもらわなければいけない。

 

 

 最近、肌がふわふわする。高いスキンケア用品の賜物か、と思ったけど多分違う。表面が潤って滑らかな柔らかさがあるのは間違いなくDiorのおかげだと思うが、この肌のふわふわは、老化だと思う。ハリがあった茹で卵みたいな弾力から、いつでもたるむことのできる肌になったのだ。

 私は一重瞼だから、目のたるみなんて無縁だと思っていた。

 それが最近、メイクするときに綿棒でグイッとまぶたを押すと簡単に二重になる。目、たるみ出してるよ。

 今は試供品のアイセラムを塗っているが、これを使い終わったら、高くはないが評判のいいアイクリームを買おうと思う。

 

 

 今週の土日は、ファンイベントと舞台、立て続けに楽しいイベントがあった。セクゾのドーム当たらなかったから、今年最後の現場かなというものたちだった。

 でも当たり前のように、私は行けなかった。電車で15分もあれば辿り着けるのに。

 2日間、めまいと頭痛、ベッドの中で大汗かきながら悪夢を見て、何者かが上に乗って金縛りにあってた。

 ムシャクシャしすぎて、初めてデリバリーに手を出した。おいしい食べ物が家に届くのは快適だった。

 

 金曜日には初めての内科に行き、首を見るだけで「甲状腺が太い」と言われ、肝臓の数値や脂肪関係の数値が悪い、と言うと「その歳で!?」と医者に叫ばれ、血液を5本も取られた。もう私は病院で血液を5本取られても驚かないくらいいろんなところで血を取られまくっている。

 

 

 私はもう老化している。

 わかってる。人より不規則で不健康な生活だから、少し早めに対策するべきだと高いスキンケア用品を多少無理して使っている。それより健康に留意しろよ、と言われそうだが。

 

 よく30、40を過ぎると体にガタがくる、長い不調の始まりだ、とか聞くけど、私はもう29歳でガタがきてる。もっと言えば24歳くらいに精神的に悪くしたのがきっかけでそれ以来ずっとだ。寝てばかりいたはずなのに、体はどんどん不調をきたす。

 

 今は学生という身分だが、こんな状態で働けるの?と真剣に思う。ジャニーズなんか見ても、なんでこの人たちこんなに動いて働いて倒れないんだろう・・・ということばかり頭をよぎったりする。

 

 今はいい。父親のお金で、1Kの部屋に籠もれば守られていると思う。

 でもそれだけでは東京にいられなくなるし、もっと言えば人生を破滅させてしまう。

 

 昔なら許されただろう。

 少し病弱な妻。だから家にいるしかない。

 司書でも一人食べていくくらいは稼げた。もしくは結婚してパートの司書でお小遣い稼ぎ。

 

 どちらももう許されない。社会的にも、私みたいなまともな恋愛と無縁な人間としても。

 

 

 昨日、思わず祖母に本音が出た。

 「私だってできるもんなら、司書で働きたかったよ。こんな計算だ暗記だなんてできないことするより」

 

 悲しいけど、本音。

 司書やって一人で生きていけるのならそれで生きていきたい。

 もしも私に経済力のあるまともな人間性の結婚相手がいたんだったら、今の時代のパートしかない司書でも働きたかった。

 

 でも無理だから。

 一人で生きるしかない私は、夢小説の恋愛にときめきながら経済力を身につけるために今の学校で頑張るしかない。

 

 でも、この体調でどうやって働くの?

 

 

 そうループせざるを得ない、体調の悪い私です。

 盛り塩はした。

 今日の病院、行けるかなぁ。。。

 

 

 

家族とのんびり、暮らしてられたらいいのに。

 

Teenage Dream

 久しぶりにThe First Monday in May、邦題「メットガラ ドレスをまとった美術館」を見た。

 

 このドキュメンタリー映画はニューヨークのメトロポリタン美術館の服飾部門が1年間の経費を稼ぎ出すために行われるパーティー、メットガラと、そのパーティーに合わせて開催される特別展の準備をメトロポリタン美術館側と、アナウィンター率いるVOGUE側から撮られているものである。

 中国ファッションに関する特別展ということで、中国の政治の香りが濃すぎる部分も多い映画と特別展だが、博物館の人間がどのような想いを抱いてキュレートしているかが垣間見える部分、そしてファッションへの造詣が興味深くて繰り返し見てしまう。

 

 妹と見るのが恒例なのだが、ふと「そういえば前のドクターは私がディズニープリンセスに憧れてロリィタ服を着ていると思ってたみたい。それが現実逃避と受け取られたのかもね。カウンセリングの先生にそれを言ったら、『あなたはアーティスティックな部分があるから、そういうものを芸術として着ている』って言われて全くその通り、ドクターの勘違いすごいなと思ったよ」と話した。妹の返しは姉にもディズニープリンセスにも失礼な勘違いだな。さすが男子校育ち。」で、その通りなんだけどこいつの言葉はいつもシニカルだな、とぼんやり思った。

 

 

 服への思いは人一倍強い部分がある、と少し勘違いかもしれないが自負している。

 美術的なセンスは多分人より強いし、値段でアートを見ない数少ない日本人だと思う。(その昔、安藤忠雄がうちの大学に講演に来たとき、「日本の美術館は絵の値段を書けばよろしい。日本人は値段でしか絵を見れない。」と皮肉混じりに言ったのが印象的だった)

 

 昔の雑誌も今の雑誌も読み漁るのが大好きだし、道行く人のファッションにも感嘆する。安かろうが高かろうが、買わなくとも服屋のチェックをするのも好きだ。気になるブランドがあればネットですぐ調べるし、webサイトやオンラインストアをかたっぱしから見て空想コーディネートをするのも日常茶飯事である。

 

 そんな私が目指すのはアメリカ的リアルクローズである。

 リアルクローズ。生活するために着る日常的な服。

 たとえロリィタを着るにしても、私のテーマはリアルクローズだ。電車に乗って歩けない服は着ないのがモットー。

 

 昔、ANAの機内誌にあったエッセーで今も残してあるものがある。当時流行していたTORY BURCHを取り上げた記事で、活動的なアメリカ女性のリアルクローズとして紹介しつつ、その服の持つパワーとアメリカ女性の生き様について書かれていた。

 ヨーロッパのハイブランドコレクションのような、芸術としての服ではなく、活動的に生きるための服。ゆえにそれがとてもアメリカ的な服だと、述べられていた。

 

 

 そこに書かれた活動的な女性、というのが私の理想的な女性像で、私の目指すべき女性の姿はこれだ、と14歳くらいで小さいけれど、ずっと持っていく決心をひとつ見つけたのだ。

 

 芸術的なDiorのようなヨーロッパブランドのファッションももちろん好きだし憧れだが、生きていくときに等身大の自分でいれる、気兼ねなく使って持てるアメリカブランドが一番好きだ。少しポップで茶目っ気がある。平成生まれにとって多少なりとも馴染みのある姿かたちではなかろうか。

 

 ファッションはその人の生き様であり、個性であり、見てほしい自分の姿である、と私は思っている。

 果たして私はどんな自分の姿を演出しているのだろう?

 

 学校へ行く定番は、ミニのスカートパンツ(キュロット)にフワッとしたTシャツやトップス。それにパーカー。

 これは多分、学生的な自分を出している。

 動きやすくてちょっと落ち着きがなさそうで、身軽でいれる服。パーカーを脱げば、すぐ白衣を羽織れる服装。もう一方の見方では、ずいぶん若作り感があるかもしれない。身長や体系的に今流行のズドンとした直線的な服や、長いスカートが似合わないと思って選んでいた服だが、ある意味今の年齢にそぐわない学生という立場を服で表しているのかもしれない。

 

 ロリィタ服は、自分の個性を表す服。自由でいられる服。ある意味批判してきたり性的感情を持ってこようとする男性、彼氏のような存在がいないから着れる自由な服だと思っているし、どこもかしこもハイブランドの真似をした服を作る現代で、日本発祥、ハイブランドパチモノを作る必要のない個性あるブランドに惹かれている。

 嶽本野ばら曰く、「ここにレースとリボンをつけなければ10着作れるのに、それを9着にして余分にレースとリボンをふんだんにつける」服はデザイナーのスピリット、もしくは執念がが見える。それが気に入っている。

 スピリットある服を着るのは自分のスピリットを表す技。もしかしたら私は「人よりも情熱的」だと見せたいのかも?自由な人間である、とは表したいと思っていると感じてはいるが。

 同時にパニエを履いてスカートを膨らましながらてくてく歩く、そんな自由気ままな人間でいたい思いが多分、ある。

 

 今年の夏は新しい服を見つけた。バナナリパブリックで、ネイビーの長いキャミワンピースに白いTシャツ。長いのなんて私には無理、という観念を覆した。やはりアメリカブランド。

 高めのウエッジソールサンダルを履いて今年新調したDiorの濃いプラムのペディキュアをして、長いスカートをふわふわとさせて歩く。アメリカブランドだからだろうか、少し冒険に出るような、ワクワクさせてガシガシ歩く、そんな服だった。ネイビーは多分私に最も似合う色。大人しいふりをしてどこかに行ってしまう、そんな人間でいたい私にはぴったりな服だった。

 

 小物もそう。今の通学バッグのTORY BURCHはガシガシ使えるもので、そこにその時々でぬいぐるみやキラキラのチャームを変えて楽しんでいる。バッグはCOACHやKate Spadeが多く、圧倒的にアメリカブランドだ。

 夏につける時計はTime Will Tellで、自分で色パーツを組み合わせて作ったもので、ニューヨークから来たデザイナーさんが熱心にその組み合わせを見ていた、と母が嬉しそうだった世界に一つだけのもの。(余談だけど、母親って子どもが人から構われていると嬉しそうだよね)ひとつ気になるのは中国人留学生に「最高にかわいー!!!」と言われたことで、中国人のセンスは今ひとつだと思っている私は密かに微妙な気持ちになったものだが。

 

 今はなきヘンリベンデルで買ったバッグやアクセサリーはもはや宝物である。一つのガラスがキラキラする揺れるピアスは少しシック、大ぶりなモチーフのついた可愛いピアスは楽しい気分のときに、ジャラジャラチャームのついたロングネックレスは、たまにしか出てこない最強のアイテム。これをつけたら気分はもはやニューヨーカー。ただし死ぬほど重い。

 "Love"とついたネックレスは、大統領選でトランプタワーが思い思いにごった返した時に、「私たちは愛を提唱する」とトランプタワー目の前のヘンリベンデルがお店の壁をハートでいっぱいにしたときにその思いに共感して買ったもの。そんなブランドの精神を「買いたい」ときも多い。

 

 あ、靴だけは日本のブランドとフランスのスポーツブランドだ。でもアメリカのNINE WEST愛してる。

 

 なんか自己語りの取り留めのない文章となってしまったが、私はファッションが大好きである。自分を表現して喜んでいるわけだから、私って実は自分大好きなのかもしれない。同時にいろんな顔の自分を持つのが好きだ。ルールはひとつだけ。リアルクローズであること。

 15年前の雑誌を見ると、アメリカも日本も変わる気分に合わせて違うファッションを買って揃えよう!となっている。不景気といえど、今ほどじゃなかった時代だ。

 今はファストファッションで着回し、どんな場面でも使えるものを持とう、数は少なく、という時代である。

 私は圧倒的に前者が好き。だっていろんな顔を持つ自分でいたいじゃない!

 

 同時に、今は学生ファッションを楽しみたい。

 Amavelのセーラー服を堂々とこの年齢でも日常で着れるのは、学生という立場だからだ。

 今の立場である限り、ミニにパーカー、セーラーワンピースみたいな学生ファッションを楽しんでいたい。ロリィタももっと学校に着ていきたい。

 

 まあ、学生じゃなくなってもセーラー着ているかもしれないけど!学生の立場を脱したらミニにパーカーは卒業したいかな。

 あと今でも大人っぽい長いワンピースは、少し持とうかな。久々にハイヒールも合わせて。

 

 私はアメリカ女性ほど活動的には生きられない、日本人らしい引きこもりな人間だけど、外に出るときはリアルクローズで、思いっきり自由に歩きたい。

 

 そんな自由な服で七変化できる自分でいられたら、最高じゃない?

 

 

NYに帰りたい。

 

 

 

 

 

There's no place like home.

 誕生日のお祝いの一環として、グランラウンジ銀座のアフタヌーンティーに母と行ってきました。

 

エリザベス女王たちに感化されたピンクのハロウィンだそうな。

 

しょっぱいものが結構多くて、食べやすかったと思います。日本人の感覚でしょっぱいもの先に食べて、甘いものは後にってすると結構死ぬよね、アフタヌーンティー。交互に食べないと。

 

 母に「なぜアフタヌーンティーにこだわる?」と不思議な顔をされますが、これは約7年前に行ったイギリスでの体験があるからです。気張ってハロッズの正式な格式高いティールームでアフタヌーンティーをしたら、結構シャンパンもつけてアフタヌーンティーを楽しむそこそこの年齢の女子たち、まあ40代とかでしょうか、がいたんですよね。誕生日とかのお祝いで何組かいらっしゃいました。ああなるほど、庶民はこうやって非日常を楽しむんだな、と思ったらなかなかいい習慣に思えて、せっかく東京にいるのだし、私も誕生日にはアフタヌーンティーを年に一回開拓しようか、という気持ちになったのです。去年はラデュレでした。

 

憧れのマキシムのナポレオンパイ。大阪の味が勝ってしまった・・・

 

 

 というのは序章で、今回は家について書いてみたいと思います。

 憧れのブロガーさんが過去に読んだ漫画で「プリンセスメゾン」というものを挙げていて、家好きだし面白そうだなと思って読んでみたのです。

 NHKでドラマ化もされたようですが、あまり機微の激しくないお話で、優しい世界だった。誰も人の否定をしない。今の時代の漫画だな、という感じでした。

 

 自分の家を25歳程度で探して買う沼ちゃんに感動しながらも、家って人が出るよなあとしみじみ思い返したのです。

 

 私の例の婚活に励む友人の家に今年の春行ったときは、静かに衝撃を受けたものです。

 人と一緒に座るのが前提の長いソファ、人と食卓を囲むための大きめの机。部屋のメインはその2つでした。

 当たり前に出てくる揃いの食器。トイレに置かれず隠された生理用品。

 彼女は一人暮らしをしたけれども、それでもこの空間はこれから付き合っていく相手を意識した部屋になっているのだな、と感動したのです。そこには彼女の人生が濃く反映されていたから。

 

 対して自分の一人暮らしの部屋を見たとき、ほほーと思いました。

 一人しか座れないヨギボーのクッションソファ。一人分の食卓にしかならないようなチャチな食卓机。自分のインテリア的趣味で真ん中にドーンと置かれたベッド。目立つわけではないけど、使いやすい場所に置かれた生理用品。

 揃いの食器なんてものは、2個あったほうが便利だろうと考えた箸とスープスプーン、ミニボウルぐらい。小皿は二枚ありますが、それも「おばあちゃん泊まりに来たときにお刺身食べるとき必要かも!でも基本一人で使うんだからサイズも種類も違うのにしよう!」と選んだ揃いではない小皿です。

 

 気づいたのは、私はこの家では基本一人で過ごすと考えていることでした。誰かを迎え入れることをあまり考えていない。だってよく考えると、こんなセミダブルのベッドがど真ん中にあるような家、付き合いたてかそれ以下の男性がきたら気まずすぎる・・・遊びに来るのは女子限定だな・・・みたいな感じだし。

 

 ただ一つ自慢できるのは、色々と引越しを繰り返して学んだり、アメリカのインテリアが大好きで色々参考にしている私は割と機能的な家を作っていること。動線の綺麗な、機能的かつ好みの飾り付けをした理想的な私の家となっていることです。キッチンの収納なんか、すごいぞ?20代の一人暮らしではなかなかお目にかかれないほどの機能的だぞ?

 

 よく考えたら東京に越してきて妹との家を作ったときは、「人と共に暮らす」という家を初めて作った経験でしたね。自分だけでなく、妹と暮らすにはどのようにしたらお互い快適か。それを模索しながら作った家でした。そんな家に私はできてたかな。

 

 一人暮らしは少し寂しくとも、快適です。

 でもだからといって、私は他人と暮らすのが嫌ではないし、無理ではないのだと思う。

 現代的な環境、パーソナルなスペースや時間がある程度あるのであれば、むしろ私は他人と暮らすのは好きなんだろうな、と思います。誰かと時間や行動を共有して思い出を作るのが好きなので。

 

 少し話が変わると、その親友は一人暮らしを完全に「期間限定」と捉えていました。私ならあんないい家手放したくなくなるだろうなー、と思うのですが、彼女にとっては一人暮らしはあくまで結婚までの「期間限定」のことなのです。仕事も同じように、専業主婦になるまでの「期間限定」。

 今時そんなことを思えるのはすごいな、と素直に感心するのですが、同時に自分は一人暮らしに期限があるなんて考えたことなかったな・・・とその感覚の違いに驚き、感動させられたのでした。

 

 こないだ家族が来たときは、部屋の小さなテーブルで母とご飯を食べたり、気持ちよさそうに妹がベッドでくつろいでいたり。不思議だけど悪くない、と思った。

 私はドロシーが言った、「おうちが一番」を信じて生きているから。

 期限のない一人暮らし、私は自分に思いっきりお金も時間も使って楽しむとしましょうか。

 

 

 

14歳にホームステイしてから未だにアメリカのインテリアに囚われている

 

星の見えない夜だからこそ、星を探す

 久々に私のコンプレックスの塊だった親友に会った。その話はまた書こうか。

 でも今回書きたいのはドクターの話である。かつての私のドクター。私のことをよく理解していると思っていたドクター。

 

 変なドクターだった。

 なんかボソボソ自分の意見を長々と話すし、いきなり謎のタイミングでなにかに一人納得してたりする。気づいたら患者に仕事を手伝わしてるし、なんか心理士も付けずに全て一人で仕事をこなそうとし始めたし、最後のほうは破滅の匂いを感じたけど。

 

 しかしドクターは、確かに私の能力を高いと褒めてくれた数少ない他人だった。

 

 私は学歴も高くないし、喋り方とかでも多分あまり高い知性とかは感じさせない、平凡な人間である。そんな私の知能を高く評価してくれたドクターには感謝している。

 自分としては当たり前のことを話しても、分析しても、ドクターは感嘆しながら、時に興奮しながら言った。「なんで君はそんなに能力が高いんだ!」

 

 ある時は事務のお姉さんと並べられて作業をさせられてそう叫ばれ、若干雑に扱われた事務のお姉さんの姿を見てドクターに対して「ええ・・・」みたいな戸惑いも覚えたが。

 

 ことあるごとにドクターは私の脳みそを褒めた。おかげでちょっと自己肯定感が上がった。

 ドクターは間違いなく、私の脳みそが大好きだった。なぜか。いまだによくわかんないけど。

 

 同時にドクターの不思議の言葉が増えた。

「君の朗らかなところも弱いところも知ってるからね」

「君が元気だと僕も嬉しいんだ」

「君とは一緒になれない。僕には資産がないから」

「僕が稼ぐよ!」

 

 なんかもうわかんない。意味不明。

 

 同時期に、ドクターの言動が変わり始めた。

 私自身がどう生きるかよりも、お嬢様な私を人生に訪れる苦難からどう守るか、に変わってきて、その過干渉に私は窮屈さを感じた。

 

 私は、苦難のない平坦な人生なんてつまらないと思っている。人生にはいいときも悪いときもある。泣いたって笑ったってそれが人生だもの。言葉を借りるなら、「星の一つも見つからない、雷に満ちた日があってもいい」のだから。

 

 冒険をさせてくれない、守るだけになってしまったドクターと別れを告げるときが来たと思い、新しい病院を見つけた。最後に会ったドクターは、酷く混乱していた。

 

 その新しい先生に向けた紹介状、中身怖いなーと思っていたが、女医さんは中身を教えてくれた。「あなたの話すあなた自身とは随分違うけど」と言いながら。

 

 私はお嬢様育ちで浮世離れしていて、現実から目を背けてばかりいる。現実が苦手でたまに観劇という現実逃避をし、自分から離れたのは自分が少しきついことを言ったので、それから逃げたのだろう、と書かれていた。もっといろいろ書いてあったけど、正直どうでもよい空想お嬢様エピソードで覚えていない。

 

 私はショックを受けるというより、笑ってしまった。自分が多少お嬢様育ちなのは認めるが、浮世離れできるほど甘い世間ではなかったし、観劇はただの趣味だし、弁護士の父親に責められて生きてきた私からすれば、ドクターの考えるきつい言葉なんて歯牙にも掛けないレベルである。っていうか、己からすれば観劇する奴は皆現実逃避してるのか?

 

 笑うしかなかった。私をかなりのレベルで理解してくれていると思ってた人は、実は全然私のことを理解していなかったのだ。

 

 同時に怖くなった。

 

 なぜ私に何かしらの好意を抱く男性はー父親を含めてー私に成長しないでそのままでいて、と思うのだろう。

 まるで私が花やお菓子に囲まれて生きてきたマリーアントワネットかのように、大人になることに苦い顔をしてホワホワしてそのままでいて欲しい、と願うらしい。

 

 わからない。でもどうも、私はそういう男性を惹きつけやすいらしい。

 

 かつて大学生時代の彼氏は高校生時代の私を神聖なものみたいに考えていて、成人している私に制服を着せたがった。

 それがただの性的嗜好ならまだマシだったと思う。でも彼は、その性癖の中に、いつまでも若くて可愛い君でいて、という思考回路を持っていた。悪い言い方をすれば「いつまでも若くて(おバカで)可愛い(下に見れる)君でいて」という意味が含まれていることを、私は見逃さなかった。

 

 私は精神的にも肉体的にも歳をとっていく。できることなら綺麗に歳を重ねて、年相応の精神的な美しさを持って生きていきたいと、大学生の頃からぼんやりと思っていた。たくさんの辛酸を舐めて、私は大人になるのだ。いつまでも子供でいてほしい、という人とは一緒にいられない。

 

 しかし残念ながら、私に気を持つ男性はどうも私に幼いままでいて欲しいらしい。

 やっぱり男性と付き合いを持つことは難しいな、と再確認させられた、ドクターとの別れでした。最後まで謎。

 

 混乱しまくってるドクターに「また下に下がって苦しいとき、戻ってくればいいよ」みたいなこと言われて、呪いの言葉だな、と思い2度と戻らねえよ、と誓いました。

 あなたのところに戻っても、元の木阿弥だもの。別れるべき人とは、スッキリキッパリ別れるべきですね。

 今回は気付いてからわりと早く決断できた、そんな自分を褒めましょうか。

 

 

カピーのようにマイペースに楽しく生きていくよ

 

 

カワイイは、作れる。

 健康診断の血液検査の結果が悪すぎて周囲に驚かれたみあです。

 自分ではさほどのショックがないので結果、まあ憎きルジオミール辞めたらダイエットするって言ってたしそうすればべつによくない?となりました。内科に検査結果持っていったら爆怒られするかもしれないが。

 

 可愛いものってこの世にいっぱいありますよね。ラデュレのマカロンリラックマANNA SUIの小物、Miss Diorの香水、JILL SATUARTのピンク・・・言い出したらキリがない。

 

 かく言う私も可愛いものは大好きです。というか可愛いものしか持ちたくない。下着一つだって小物一つだって、可愛くないものは使いたくない。細部の一つだってこだわりたい。

 

ここにリボンがひとつ付いてるのが邪魔だって?それがいいんだよ。

 

 ええ、わかっている。多分私は人よりも可愛いものに対する執着が半端ない。

 なぜそうなったかは私の育ちにある。

 

 母親は私にたくさんの服を買い与えてくれたが、それがいまいち地味だった話。多分母親の好みが反映されていたんだと思う。私よりシックというか、地味なの好きだから。服の趣味ほとんど正反対だから。

 小学生のとき初めて男の子に抱きつかれた翌日、調子に乗って可愛い服を着ようとしたが可愛い服がなくて、そんな中精一杯可愛い服を選んだ記憶。なんで抱きつかれたかは未だにわかっていない。

 

 妹がシャーリーテンプルの服を着せたられていたとき、「なんだこの可愛いが詰まった服は!?」と衝撃を受けた。私の時代にはブランド自体がなかったようだが、こんなものを着せるようになった母親に感慨深くなった。同時になんで私の時代にはこれができなかったのか少し恨んだ。

 

 同時期の妹が小さい頃はディズニープリンセス全盛期で、妹が買ってもらったディズニープリンセスの雑誌を熟読した。ディズニープリンセスのマナーレッスン講座、行ってみたかった。

 

 私の可愛いへの渇望を加速させた時期がある。それは北海道時代だ。

 

 北海道に引っ越したら田舎すぎて今までデパートで買っていたブランドなんて無い。

 みんなどこで服を買うの?みんなどこで可愛いものを手に入れるの?そもそもジャージって何?初めて知った。なんでみんな学校来るのにジャージばっかり着てるの?

 

 スクール水着がなくて小学生からちょっと可愛い水着を好きに選んで学校の授業で着た、なんていう自由な思い出もあるのだけど。

 

 数年経って知ったのは、みんな「ファッションセンターしまむら」で服を買い、ポスフール(イオンさえ無い)のファンシーグッズショップで可愛いものを買うということだった。

 

 でも私はそんな北海道の田舎唯一の可愛いがある場所で可愛いものを買えなかった。

 だってそんなところで可愛いを手に入れるのは、私をいじめてきた子達のすることだったから。

 

 私は北海道で呪いみたいにいじめられた。べつに本州に住んでいた時代からいじめられ放題だったけど、北海道のいじめは別物だった。よそ者が混入したという異物感からのいじめ。都会育ちの私への羨望のいじめ。いじめられてもしょうがないくらい私は無愛想で自意識過剰だったのかもしれないけど、そのいじめを許すことはできなかった。

 

 可愛いものが欲しい。でも可愛いを買うためにはいじめてきた奴らと同じところに買い物に行かなきゃいけない。同じものを身につける。そんなの嫌だ。

 私が可愛いものを買おうとしてファンシーショップにいるのを見つけられたら?きっともっといじめられる。

 

 ずっとそんなことを考えていた。

 そして身につけるものはユニクロだけになっていった。

 

 私は毎月名古屋に帰っていて、空港のソニプラや都会のイオンやデパートで可愛いものを探すこともできたのに、見るだけで買うことはほとんどなかった。

 だって私だもん。いじめられてる私だもん。こんな可愛いものは似合わない。買えない。

 

 母親がたまに買ってくれる女の子らしい服も、名古屋で着ることしかほとんどなかった。

 可愛いものを身につけてる私なんて、馬鹿にされていじめられるに決まってるもの。

 

 そのうち大きくなってくる胸さえいじめの対象になるんじゃないかと、年相応のワイヤーの入ったブラジャーを拒否した。母はそれでもデパートでワコールのツモリチサトとかの、店員さんの提案する可愛めのワイヤーの入っていないブラを買ってくれた。私の唯一の、隠れた可愛いだった。嬉しかった。でもいまだに胸の形が悪いのは、この成長発展途上の時にきちんとホールドするブラジャーを付けなかったからだと思う。そう思うと私のいじめられた苦しさはいまだに体に残っている。

 

 中学生までの私は、とにかく雑誌が救いだった。

 買っても誰にも気づかれずに、家で可愛いを堪能できる。年相応のSeventeenから、年相応じゃないOL系のJJとかCanCamを愛読していた。そこには可愛いがいっぱいあった。

 

 いつかこの雑誌と同じものを持って可愛くなってやる、と思いながら、雑誌に出てくるので唯一同じものとして買えた制汗剤やボディ用剃刀にさえときめきながら、私の中学時代は過ぎていった。

 

 高校生。京都に行って高校生になったらいじめられていた私を捨てて、高校デビューをすると決めていた。いうて高校1年生の私は今写真を見ると「ダサいなあ」と笑ってしまうのだが。仕送りの中で精一杯、数少ない可愛いを見つけ始めていた。可愛いのリハビリ。

 

 高校2年生になって遊び方を覚えてきて、父親にねだってセシルマクビーINGNIの服を買ってもらうようになった。たまにロクシタンでボディミストとかも買ってもらえるようになった。憧れのCanCamに載っている服も買えるようになった。当時のCancamは愛おしすぎて、いまだに何冊か持っている。

 自分でもちょっとコスメとかに手を出し始めて、私は明らかに変わった。可愛いを手に入れたのだ。

 

 そこから私は、今でも可愛いに固執しながら、可愛いを求め続けている。多少それが時代遅れのものであろうとも。

 

 CHANELやDiorのコスメやスキンケアが使えるようになり、可愛いピアスを付けて、可愛い服、もしくは最高のロリィタ服!に身を包んで、可愛いぬいぐるみを持ち、可愛い小物を持ち、私は生きている。

 

 中学生の頃、20歳のタイムカプセル掘り起こしの時には、CanCamOLのように可愛くなって、全員見返してやる!と思った。実際その会合に顔は出さなかったが、理想に近い可愛いは手に入れたと満足した20歳だった。

 

 この間はメルカリで、10年以上前に限定発売されたANNA SUIのミニドレッサーを手に入れた。当時欲しくても買えなかった可愛いである。

 私は多分、これからもこうやって憧れた可愛いの回収を、一生かけてしていくんだと思う。

 

 FOXEYのワンピース、Lady Dior、ティファニーKate Spade、、、、、欲しい可愛いは無限にあるんだもの!

JILL STUARTのチーク、フェラガモのカチューシャ、Babyのロリィタ服、サマンサのバッグ、COACHのピンク色のバッグ、ティファニー。手に入れたものも結構あるのだけど。

 

 かつて「可愛いは作れる!」というCMがあった。最高のキャッチコピーで、私はそれを胸に生きてきた。これからもそうであれ。

 

 可愛いものとロリィタ服はイコールではないところもあるので、これはまた語りましょう。

 

 可愛いものを身につけたい私は意地でもダイエットすると思うので、血液検査の結果は気にしないことにします。それでは。

 

 

 

これも一種のカワイイ。我が道を行くよ。

 

アンチテーゼ・エスケイプ

 先日、ドクターに言われた。

 「君は生きる意義を持っていない。かわいそうなことだよ」

 そしてその言葉には、「だから、君はどういう意義を持って生きていくの?」が込められていたと思う。

 私はその言葉に「それは東京の人の感覚だよ」と反論したが、「全国同じだよ」と返された。

 

 どうしても納得できなかった私は、ドクターが仕事中毒なのを前提として友人4人に生きる意義について問うた。わりとみんな真面目に返してくれて、そのうち3人の女友達の回答を祖母に送った。なかなかみんなすごいでしょ?と。

 

 祖母のレスポンスの中に「そもそも生きる意義って必要なものだろうか?」という言葉があった。

 

 正直思った。

 

 うん、それな。

 

 

 友達の一人は、こう言った。

 

 お医者さんの中にも仕事を生きがいにしてる人ばかりとは限らないよね。今生きがいだってほど大事なものがない人は、きっとそれを見つけるのが今は生きる意義なんじゃないかな。

 

 

 うん、それな。

 

 

 友人や、多分ドクターも無意識に使っている「生きがい」と「生きる意義」。この2つは似て非なるものだと思う。

 「生きがい」とはその人が生きるために必要としていること。そのために人生を生きているということ。

 対して「生きる意義」とは、どこか空々しい。誰かから見られていて、「だから私は正しいでしょ?」と主張しているような言葉である。

 「生きがい」が自己満足な目線を持っており、「生きる意義」とは他者の目線のようではないだろうか。

 

 実際「意義」を辞書で調べると

行為・表現・物事の、それが行われ、また、存在するにふさわしい積極的な(すぐれた)価値。

とある。

 「生きる意義」とは他者の許しを乞い、自分の価値を証明する行為なのではないだろうか。どこまでも他人目線で、自分の承認欲求を満たすための、表立った言い訳である、と考えることができるのではないか。

 

 そう思うと「生きる意義」を必要としていて、他人にそれを求めちゃうドクターの哀愁を感じる気がする。かわいそうに。

 

 4人のうち1人の男子は、「そりゃ地方都会問わず人によって生きる意義を考えるかどうかやろ」と言った。そして自分の仕事への意義を語り始めた。

 

 「生きる意義」を求めるのは男性の性なのか?

 

 

 やっぱり男性の性っぽい、と思いながら私の仮説は2つある。

 一つは、女性が社会によって傷つけられることである。

 女性なら誰もが、この男社会で女性ならではの差別や偏見に晒されたことがあるだろう。そのうちに社会的に認められる「生きる意義」を見出すことができなくなり、個人的な「生きがい」の世界に生きるようになるのではないか。

 

 もう一つは、女性が「産む」性であることである。

 出産は女性の人生を変える。ずっと面倒をみなければならない、いうならば生涯の生きる意義・理由が出産でできるのだ。そう考えると女性に必要なのは「生きる意義」ではなく個人的な「生きがい」である。

 

 私個人の考えとしては「生きる意義」などいらない。生きるための「生きがい」は必要かもしれないけど。

 

 だって人生なんて、生きてりゃ結果がついてくるだろう。意義なんて青写真唱える前に、目の前の人生本気で生きてみろ。

 その結果が泣くことになっても笑うことになっても、それでいいじゃない。それが人生だもの。

 「生きる意義」を最もらしく唱えて承認欲求を満たす前に、自分の煩悩だらけの欲を満たしてしまえ。それが犯罪や人を傷つけることじゃなければね。

 

 私のドクターは、仕事が楽しいワーカホリックだ。正直なところ、言葉の端々から「本物の人生は仕事から」「仕事を充実させる人生こそ最高」というのが漏れている。

 私はどう考えてもそうは思えない。世の中には専業主婦がいて、働いてない人がいて、まだ働く年齢でない人間と、仕事という義務を終えた人々がいる。そんなそこらじゅうに溢れている人間は、本物の人生を生きていないのか?否、誰もがそれなりのドラマを持って生きている。

 それに働くだけが人生じゃない。生活手段として仕事を持ち、趣味に生きる人の何が悪いのだろう。

 

 その辺りも不思議と東西の違いが結構あって、関西にいた学生時代は先生たちに「おまんま食うてかなあかんからな」と仕事の必要性を説かれた。それが東京に来ると仕事は「生きる意義」となっている。なんということだ!

 

 私は今手に職をつけようとしている。それは食べていくためだし、稼いだお金で趣味や進学で人生を充実させるためである。

 仕事が楽しい!と思えればそれに越したことはないけれど、基本的に人生を充実させるための糧として仕事を見ている。

 

 こんなんじゃワーカホリックな「生きる意義」を見出したがるドクターと「生きがい」で生きていこうとする私は合わねえな、と転院を考えていますが、どうなるでしょう。乞うご期待。

 

 

今日が楽しければいいじゃない。それの積み重ねだもの。